神代と大化に反旗、織物・製紙など産業発展、大悟庵の鎮守
[住所]静岡県富士宮市星山1
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倭文神社(しどりじんじゃ)は、静岡県富士宮市星山にある神社。地元では「しづりじんじゃ/しずりじんじゃ」か。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「倭文神社(駿河国・富士郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。古代、倭文部によって奉祭されたもので、『延喜式』巻24主計寮上によれば、駿河国と常陸国のみが、調として倭文布31端を納めていたという。

星山の地は、神代、香々背男が支配し、中央に叛いたため、当社御祭神である健羽雷神(天羽槌雄神)によって討たれた。

後に、健羽雷神によって、織物・製紙などの産業が発展したという。

『日本書紀』によれば、大化の改新の1年前、大生部多という人物が、「虫」を祀るよう村民を扇動したため、秦河勝によって討伐された。

この場合、虫とは、中央の意に沿わない「何か」だろうか。出なければ討伐対象にはなりにくい。

倭文布を納めていたことは、この時、あるいは神代から続く、懲罰的な意味合いがあったものか。

もともと当地方には、藤、三椏、楮などが山野に自生し、清冽なる湧水も豊富だったので、織物・製紙などの産業に適していたという。

今日富士地方は世界的に有名な紙の産地として知られているが、その起源は当地方にあるとされているという。

中世末期には「嶽王子」、江戸時代には「星山大明神」と呼ばれ、富士山本宮浅間大社の摂社だったが、戦後、独立分離した。例祭は7月11日。

昭和35年(1960年)10月1日、山神社(大山祇神)、熊王山神社(熊王山神)、 第六天神社(高皇産霊神伊邪那岐神)の三社を合併、境内社とした。

現在、神域は大悟庵と観音堂に挟まれている。当社は大悟庵の鎮守でもあり、大悟庵は当社の別当寺としても機能し、観音堂は当社の本地堂だったとする説がある。

江戸時代中期の元禄14年(1701年)、当社は明星山から現在地に遷座したという。

当社には本殿はなく、拝殿後方の石垣の中に、榊の木があるのみ。江戸時代には、御神体石があったといい、以前は杉の木を祀っていたともいう。

現在も境内には老杉があり、大屋毘古神を祀っているという。

【ご利益】
産業振興、事業成功、リフレッシュ
倭文神社 静岡県富士宮市星山
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