もと浅間大社の摂社、浅間大社の遷座に伴い現在地に遷座した福地神
[住所]静岡県富士宮市朝日町12-4
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富知神社(ふくちじんじゃ、冨知神社)は、静岡県富士宮市朝日町にある神社。福地社・福地明神社・不二神社とも。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「富知神社(駿河国・富士郡)」に比定される式内社(小社)の論社。

『惣國風土記』には、「不二神社、大山祇之命也、深待彦天皇二年丁卯六月之旬始祭之」とある。深待彦天皇は第5代孝昭天皇のこと。

ただし、境内案内板には、第7代孝霊天皇となっている。

『富士本宮浅間社記』には、「大宮社地、古往以福地明神之社地、遷浅間神社。福地明神者、延喜式神名帳所載富知神社大山祇命也」とある。

平安時代初期の大同元年(806年)に富士山本宮浅間大社が山宮(現 山宮浅間神社)から現在地に遷座して来るまで、同地には当社が地主神として鎮座していたという。

この遷座に伴い、当社は現在地に移ったが、以降も地主神として浅間大社の祭祀に深く関わり、浅間大社の摂社となった。

「フチ」は水の信仰に由来するとされ、現在の浅間大社の地には富士山の湧水「湧玉池」があり、当社はこの池を「湧く霊」として祭祀を行っていたとされる。

『駿河国神名帳』には、「正五位下 福地天神」、「従五位上 福地地祇」が記載されている。

『吾妻鏡』文治2年(1186年)には、「富士領上政所福地社」とある。「富士領」とは浅間大社社領とされる。

神事は浅間大社の社人である福地大夫が司っていた。

元亀3年(1572年)の『武田家朱印状写』にある山田甚三郎の任命以降は、山田家が明治まで福地大夫を世襲したという。

平田篤胤の『古史伝』には「此社今現に、大宮町に在て、福地権現と云由なるが、其浅間大宮の神主富士氏の家なる古記に、神主福地明神と有由なればなり」とある。

御祭神は、もとは地主神だったことが考えられるが、現在は大山津見神。浅間大社御祭神である木花之佐久夜毘売命の父神で、神名によりその関係性を伝えている。

現在は浅間大社の摂社ではなく、事実上独立しているという。ただし、現在も浅間大社の兼務社だという。

例祭は9月19日。当社の境内社として、三峯神社がある。

式内社「富知神社」の論社は他に、富士市浅間本町の富知六所淺間神社がある。

【ご利益】
家内安全、五穀豊穣、地域安全
富知神社 静岡県富士宮市朝日町
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