奈良期の悪疫と干ばつに霊験、皇室や毛利家の崇敬、三室山
甘南備神社 広島県府中市出口町745
[住所]広島県府中市出口町745
[電話]0847-41-2111

甘南備神社(かんなびじんじゃ)は、広島県府中市出口町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳山陽道神 備後国 葦田郡「賀武奈備神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

奈良時代直前、元明天皇の和銅元年(708年)、備後国に悪疫が流行した時、国主佐伯宿禰麿は崇敬する出雲国の美保の大神事代主神)の御分霊を三室山に奉斎した。

悪疫はたちどころに退散、その神恩感謝により当地民が社殿の造営を始めたのが創始。後に父である大国主神と、その盟友の少彦名神を併せて祀った。

度会延経『神名帳考證』によれば、御祭神は神魂命だという。

元正天皇の養老7年(723年)、干ばつの際、藤尾村の龍王神が国府の一賤女に「吾前を三室山の甘南備神社に合わせ祀らば旱災を除くべし」と伝え、龍王神も併せて祀った。

淳仁天皇の天平宝字4年(760年)には従五位上に叙され、平安時代になり、貞観9年(867年)4月には正五位下、天慶2年(778年)11月には正五位上に進んだ。

当地方で最も由緒ある古社として、皇室では、淳仁天皇・清和天皇・陽成天皇は事あるごとに奉幣したという。

また、中世以降、武将の崇敬も篤く、毛利元就・水野勝成をはじめ、松平・阿部の領主・藩主はいずれも当社を祈願所としたという。

明治になり、明治5年(1872年)11月、郷社に列し、昭和3年(1928年)10月19日には県社に昇格した。昭和21年(1946年)の国幣社昇格が内定していたが、社格制度が消滅。

例祭は10月第2日曜日。9月第2日曜日には奉納子供大相撲がある。

檜皮葺朱塗の本殿は江戸時代中期の宝永3年(1707年)8月、福山城主松平忠雅が造営を命じたもので、拝殿は大正13年(1924年)2月、銅板葺により新築されたもの。

他に、手水舎・社務所・神饌所・随神門・神楽殿・宝物館などがある。参道途中には「黄金の鳥が鳴く所」があり、柏手を打つと反響する。

境内社に、稲荷神社、玉守稲荷神社、中風神社、藪神社、木野山神社・春日神社、天目一筒神社、荒神社、太子神社、竜王神社がある。

当社の後方にある三室山には、祭祀遺跡の磐座が多くあり、滝壺・清流がある。その山頂付近には、当社末社の天壷神社が鎮座する。

昭和になり、当社も出資し、桜3000本・紅葉300本・つつじ300本の植樹などが行われ、現在は市内でも有名な観光地の一つ。

【ご利益】
福徳円満、商売繁盛、産業振興、病気平癒
甘南備神社 広島県府中市出口町
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