当地開拓民の女神、江戸期の本殿、獅子舞と角力・針拾の神事
[住所]島根県益田市久城町963
[電話]0856-24-1398

櫛代賀姫神社(くしろかひめじんじゃ)は、島根県益田市久城町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「櫛代賀姫命神社(石見国・美濃郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

社伝によれば、往古、大浜大谷浦に鎮座していたという。この浦に、女島(姫島)・男島(彦島)・中身島という島があり、神代に、この島へ天降ったという。

御祭神は、櫛代賀姫命。この地方を開拓した櫛代族の祖神。

同じく石見国式内社で、浜田市にある櫛色天蘿箇彦命神社は、石見の海岸部を根拠地とした櫛色一族が、その祖を祀ったもので、関連が指摘されている。

姫島と彦島で、両社の櫛代賀姫命と櫛色天蘿箇彦命が逢引する。櫛色天蘿箇彦命は頬かむりして通うが、いつの間にかずれてしまう。それが月の満ち欠けだ、とも。

奈良時代、聖武天皇の天平9年(737年)9月、官の命により社殿を造営。

平安時代の大同元年(806年)、石見観察使である藤原緒継の霊夢のより、現在地の久城明星山に遷座した。

その後、絶社となったが、承和7年(840年)8月に再建された。

別に、大同元年には緒継浜に遷座し、万寿3年(1026年)、高波によって海底に没した後、現在地の明星山に遷座したとも。

中世には、上府八幡宮を勧請して、応神天皇を合祀、「濱八幡宮」「濱の八幡」「はまのやはた」などと呼ばれた。

七尾城主、益田家より社領12石が寄進され、益田・美濃郡・鹿足郡にわたる総氏神、縫針の祖神として広く尊崇された。

現存の本殿は、江戸時代中期の明和2年(1765年)、再建された。拝殿後方に建つ三間社流造銅板葺で、庇部床高を本屋より一段下げて縁高欄を廻らす。

妻飾は豕扠首で軒は一軒繁垂木とする。当地方の神社本殿の特徴を示すとともに、細部に天正期の古材を残し、遺風を伝える。国の登録有形文化財。

江戸時代後期の文政6年(1823年)、石見国21ヶ村の総氏子により、本殿その他の大修築がなされた。

当社の特徴的な神事に、獅子舞・角力神事・針拾神事がある。獅子舞は、久城山へ遷座の折、雌雄二頭の獅子が先導したという故事によるもの。

角力神事は、当地へ遷座の時、大浜浦と大谷浦の人々が、自分の浦へ遷座しようと争い、相撲で決定したという故事による。持三郎の神話としても伝えられている。

針拾神事は、相撲で決定した後にも争いが絶えなかった時、一人の老婆が、これを諭したが、その際に大切にしていた針を失い、狂ったように針を探していたという故事。

明治5年(1872年)、村社に列し、大正8年(1919年)には郷社に、昭和12年(1937年)には県社に昇格した。

例祭は9月15日。境内社に大元神社などがある。

【ご利益】
良縁・縁結び、子宝・安産、身体壮健、家事上達
櫛代賀姫神社 島根県益田市久城町
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櫛代賀姫神社 島根県益田市久城町の御朱印