石見開拓の女神、石神社・いわがみさん、歴代浜田城主を奉斎
[住所]島根県浜田市殿町77
[電話]0855-22-7989

天豊足柄姫命神社(あめのとよたらしからひめのみことじんじゃ)は、島根県浜田市殿町にある神社。通称は石神社で、地図などでの表記も石神社となっている場合がある。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「石見天豊足柄姫命神社(石見国・那賀郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

創祀・創建年代は不詳。御祭神は天豊足柄姫命。石見国を拓いて、衣食の道を授けたとされる神。邑智郡邑南町八色石の龍岩神社に、天豊足柄姫命の伝説が残されている。

天下った出雲の八束水臣津野命の前に天豊足柄姫命が現れ、この国に八色石という巨岩があり、山河は枯れ、蛇と化して民を悩ませていると告げた。

命は青民草のためにこれを滅ぼそうとした。姫に手引きされた八束水臣津野命が赴き、八色石を二段に切った。

その首は飛び去って邑智郡の龍石となり、その尾は美濃郡の角石となった。これで災いがなくなったと姫はいたく喜んで庵に誘ってもてなした。

八束水臣津野命は庵に宿をとったが、夜が明けて見たところ、その姫は忽然と岩に変わっていた。命はこれは不思議な岩を見たことだと訝しく思った。

当社碑文ではこの伝説を否定している。しかし、当社の神紋は亀甲に三石の紋。龍石・角石、姫が変わったという岩、で、ちょうど三つの石(岩)ではある。

『旧島根県史』では、「石神は畢竟一代の御霊代に過ぎず」とし、この伝承も、当社御祭神も一貫性があるとしている。

当社の通称は石神社であるが、地元での当社の愛称は「いわがみさん」。どちらにしろ、石・岩と関連が深い。

『日本三代実録』では、「石見国石神社授従五位下」とある。戦国時代の文明18年(1486年)、社殿改築の記録が残る。

江戸時代初期の元和6年(1620年)、吉田大膳太夫重治が伊勢国より浜田へ入部し、浜田城を築城、城下町経営を開始するにあたり、城郭内に祀ったという。

以来、城主の崇敬篤く、明治になって県社に列した。

配祀の豊受姫命は、境内社である稲荷神社に祀られていたが、明治7年(1874年)4月、本社に合祀されたもの。

境内社に亀山神社がある。下記の歴代浜田城主を祀ったもの。

古田重治・古田重恆・松平康映・松平康宦・松平康員・松平康福・本田忠敞・本田忠盈・本田忠肅・松平武聰・松平康定・松平康任・松平康爵・松平齋厚・松平武揚・松平武成・松平康豊。

【ご利益】
五穀豊穣、地域安全、家内安全、子宝・安産
天豊足柄姫命神社 島根県浜田市殿町
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