平安初期に遷座、式内論社・小内神社の旧地に諏訪神を奉斎
宮王神社 長野県長野市若穂綿内3424
[住所]長野県長野市若穂綿内3424
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宮王神社(みやおうじんじゃ)は、長野県長野市若穂綿内にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。

主祭神は建御名方命。他に、天照皇太神宮、秋葉神社、三社(天神、大黒天、子安観世音)を合祀している。

奈良時代の天平9年(737年)、霊峰妙徳山(明徳山)頂に越智泰澄神融が白鬚大明神(可美摩遅命)を祀り、越智神社の本宮を開基した。

その前宮が、現在地南方の踊原の地に、本宮とほぼ同じ時期に建立され、平安時代初期には現在地に遷座した。

この越智神社が、『延喜式神名帳』にある「越智神社(信濃国・高井郡)」に比定される式内社(小社)の論社。

越智神社は、鎌倉時代に麓の清水の諏訪社の地に遷座し、さらに戦国時代の永世元年(1504年)に遷座、現在の小内神社である。

式内論社の旧地である当社は、前宮が清水に遷座した後、当時の山新田組の産土神として、主祭神の建御名方命を祀り、以後永年にわたり崇敬されてきたという。

江戸時代後期の天保13年(1842年)3月8日、神祇道管領長上侍従卜部朝臣良芳より、主祭神「諏訪大明神」が正式に神宣の允許を受け、その神宣状と幣帛を拝受した。

現在の社殿は、江戸時代中期の寛政11年(1799年)正月と、幕末の慶応元年(1865年)12月に再建されたもの。

奥殿は、昭和34年(1959年)8月の、伊勢湾台風の直前に襲来した台風7号で、境内の大木の御神木が倒れて倒壊したが、 翌年にかけて再建された。

例祭は4月に春季大祭があり、10月には秋季大祭があって、太々神楽が奉納される。

なお、式内社「越智神社」の論社は、先の小内神社の他、須坂市幸高と中野市越に式内同名神社がある。

【ご利益】
地域安全、家内安全、身体壮健
宮王神社 長野県長野市若穂綿内
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