泰澄が妙徳山麓に勧請、蓮台寺、式内の越智神社・小内神社
小内神社 長野県長野市若穂綿内5908
[住所]長野県長野市若穂綿内5908
[電話]-

小内神社(おうちじんじゃ)は、長野県長野市若穂綿内にある神社。長電長野線の村山駅の南約5キロ。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 高井郡「越智神社」「小内神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

社伝によれば、奈良時代の天平9年(737年)、泰澄禅師が当社の南東にそびえる妙徳山の麓、山崎にある、現在の宮王神社の場所に勧請したという。

その後、片山神社と呼ばれ、真言宗の古刹、越智山蓮台寺の近く、清水の諏訪社の場所に遷座した。室町時代の永正元年(1504年)2月、現在地へ遷座した。

妙徳山山頂に蓮台寺の小祠があり、神像が祀られているという。当社記では、その小祠を当社の奥宮と位置づけ、神像は、当社御祭神宇麻志摩遅命であるとする。

一説に、蓮台寺は、当社の神宮寺であったという。ただし、明治までは祭神に、宇麻志摩遲命は含まれておらず、建御名方刀美命を祀る、諏訪神社だった。

現在の御祭神は、宇麻志摩遅命・建御名方刀美命・埴安神素盞嗚命を合祀する。

江戸時代中期の寛延3年(1750年)、吉田家より現社号が許可された。「越智神社」が先を越されたための措置だったとも伝わる。

明治6年(1873年)4月、郷社に列した。例祭は10月1日。

本殿は桃山様式が残っており、鬼の妻飾りが本殿屋根の棟木の両面につけられており、一般にも見られる鬼瓦と同じ魔除けと考えられるが、神社建築では珍しい意匠だという。

なお、式内社「小内神社」の論社は他に、中野市安源寺の小内八幡神社と、高井郡小布施町の欅原神社がある。

式内社「越智神社」の論社は他に、須坂市幸高中野市越に式内同名神社がある。

【ご利益】
一族・子孫繁栄、武運長久・勝運、産業振興
小内神社 長野県長野市若穂綿内
【関連記事】
長野県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、長野県に鎮座している神社の一覧