母神への往来の要衝に奉斎、6年に一度、北信随一の御柱祭
[住所]長野県上水内郡小川村小根山6862
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小川神社(おがわじんじゃ)は、長野県上水内郡小川村小根山にある神社。小根山小川神社とも。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 水内郡「小川神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

創祀年代は不祥。御祭神は、正殿に健御名方命、相殿に大己貴命言代主命を祀る。

社伝によれば、御祭神である健御名方命が出雲での武甕槌命との戦いに敗れ、母神である沼河比売命の郷里、糸魚川を経て信濃を開拓した。

母神への往来、現在の糸魚川街道の要衝である当地に、村民が、その徳を慕って奉斎したという。

第26代継体天皇の皇子である兎王の後裔、酒人公は、第40代天武天皇13年(684年)10月、真人の姓を賜い、その一族が当地に来た。

その際、古山とも呼ばれ、当社背後の山である布留山に居を定めた。

平安時代、清和天皇(在位:858年-876年)の頃、この地を小川の荘と称したので、酒人小川真人と称して、当社を篤く崇敬した。

当地は、戸隠三院を支配していた顕光寺(戸隠神社)が鳥羽院に寄進し、小川の庄といわれる皇室の荘園となった。

南北朝時代末期、三河を追放された小川左衛門貞綱が小川庄に定着。貞綱は布留山城(古山城)を築城し、三代にわたって周辺を領し、当社を崇敬、当社は大いに栄えたという。

瀬戸川の同名社を奥宮、当社を里宮と考えられるが、現在、それぞれ独立した神社になっている。式内論社は他に、高府の武部八幡宮がある。

現在の本殿は江戸時代後期の建立で、村指定有形文化財。明治6年(1873年)、村社に列し、大正9年(1920年)には郷社に昇格した。

6年目ごとに御柱祭が行われる。その年の2月の初寅の日に山出しが行われる。一の柱、二の柱ともに、山神祭、斧入れの後に伐採、注連掛場まで曳行される。

5月3日が里曳きの大祭。当社まで移動し、翌4日、当社境内で古い柱に替えて、新しい柱を建てる。

規模の違いはあれ、諏訪大社のものとほぼ同じ形式。北信随一の祭りとされる。

当社の西、31号線の北側、現在は当社の境内社になっている御射山神社の旧社地に「小根山の大杉」というスギの御神木がある。樹高33メートル、目通り5.9メートル。

【ご利益】
地域安全、家内安全、交通安全、身体壮健
小川神社 長野県上水内郡小川村小根山
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