真田氏が崇敬した水分の神「白山様」、上田城鬼門、境内に真田神社
[住所]長野県上田市真田町長4473ロ-2
[電話]0268-72-5700

山家神社(やまがじんじゃ)は、長野県上田市真田町長にある神社。上田駅の北東約11キロ。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 信濃国 小県郡「山家神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

創祀・創建年代は不詳。山家郷の産土神として、水分の神として、崇敬された。社伝によると、往昔、日本武尊一柱を祀っていた。

本社の別当だった浄定が、越の泰澄の徒弟で、加賀白山比咩神社を信仰していたので、その御神霊を勧請、奈良時代の養老2年(718年)、奥社を四阿山山頂に奉遷したという。

里社は鎌倉時代初期の建久年間(1190年-1199年)に源頼朝が現在地に奉遷したという。

一説に、当初は岩井山に鎮座し、後に旧字古坊に遷座したが、文徳天皇の天安元年(857年)、暴風雨の洪水によって社殿が崩壊、神森を押し流して現在地に遷ったともされる。

神仏混淆によって、かつて境内には白山寺があり、白山大権現と称され、一般には白山様と呼ばれていた。

上田城築城後は、その鬼門除けの神として、真田一族をはじめとした、歴代の上田藩主に深く崇敬された。真田信綱・昌幸文書などが社宝となっている。

二の鳥居の前にある石灯篭は、江戸時代前期の貞享3年(1686年)に奉納されたもので、社殿前には三つ巴紋と六文銭がついた鬼瓦が置かれている。

江戸時代中期の宝永3年(1706年)、松平氏が上田入部して以来、明治4年(1871年)まで、祭典費はもとより、営繕費その他まで、一切藩費によってまかなわれた。

四阿山山頂の奥宮は二社あり、南向きの社を信州向社(信濃社)、東向きの社を上州向社(上毛社)と呼ぶ。

明治までの神事に、神送り・神迎えの神事があった。6月15日、本宮より親神様を涼しい奥宮へ送り、子神様を本宮へ迎える。

11月17日には、逆に、親神様を本宮へ迎え、子神様を奥宮へ送る。ただし、親神・子神が逆であるという伝承もある。

また、6月に菊理姫命を奥宮へ、伊邪那美命を本宮へ、11月には、その反対を行った、とも。現在、奥社の例祭は山開きも兼ねて6月1日に行われる。

現在までに、主祭神は大国主神・伊邪那美神・菊理媛神。相殿に日本武尊・神八井耳神を祀る。例祭は4月17日。

境内に、真田神社がある。明治になって、白山寺が廃寺となったその跡地に、大正8年(1919年)、遷されたもの。

真田幸隆・昌幸・信幸・幸村(信繁)の真田一族と戦没者の英霊を祀る。

他の境内社に、浄定社・日枝社・大歳御祖社・建雄社・愛宕社・子安社・阿夫利社・金比羅社・諏訪社・駒形社・稲荷社・北野社・雨降社・七家明神社がある。

【ご利益】
厄災除け、五穀豊穣、祈雨・天候、武運長久・勝運(公式HP
山家神社 長野県上田市真田町長山家
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