深川の地名起源、初代名主が創祀、8月には3年に一度の本祭り
[住所]東京都江東区森下1-3-17
[電話]03-3631-5548

深川神明宮(ふかがわしんめいぐう)は、東京都江東区森下にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

安土桃山時代の慶長年間(1596年-1615年)、摂津国の深川八郎右衛門が一族を率いて当地に到来して、新田を開拓した。

その際、屋敷内に小さな祠を建て、日頃から崇敬する伊勢の神宮(伊勢神宮)の御分霊を奉斎し、開拓民の幸せと、深川の地の発展を祈念した。

これが当宮の創始。御祭神は天照大御神

慶長元年(1596年)、関東入国から間もない徳川家康が当地を巡視、八郎右衛門を呼びよせ、地名を尋ねたが、「まだ住む人も少なく地名もない」と答えたという。

そこで、家康は八郎右衛門の姓である深川を地名とするよう命じた。これが地名としての深川の起源とされる。

また、同時期に、八郎右衛門が開基、秀順法師が創立した泉養寺が、江戸時代を通じて、当社の別当となった。

以来、深川の地は江戸の繁栄とともに賑やかな町となり、深川氏は開拓の功績により代々深川27ヶ町の名主を務めた。

深川氏は江戸時代中期の宝暦7年(1757年)、八郎右衛門から七代で断絶したが、歴代の墓所は、千葉県市川市国府台に移転した泉養寺に残っている。

明治に入り、社号を天祖神社と改め、郷社に列した。社殿は戦争で被災、その後、昭和43年(1968年)に現社殿が造営された。旧本殿は、練馬区旭町の出世稲荷神社に移築された。

第59回式年遷宮の際、伊勢神宮より御鏡・御太刀・御盾の御神宝が、第61回遷宮では皇大神宮(内宮)東宝殿の御柱が撤下され、御神宝は本殿内に、御柱は儀式殿の玄関にそれぞれ安置されている。

例祭は8月17日に近い日曜日。3年に一度の「本祭り」と、その間の年の「蔭祭り」がある。本祭りは西暦の下1桁あるいは2桁で3の倍数の年。

本祭りは、8月17日に近い金・土・日曜日の3日間にわたり、本殿祭、宮神輿巡幸の神幸祭、町神輿連合渡御(勢揃い)、稚児行列祭などが行われる。

蔭祭りは本殿祭のみだが、町神輿の町内巡幸、子ども神輿や山車の巡幸などの祭礼行事を行う町もある。

境内社に、深川七福神の寿老神を祀る寿老神社と和合稲荷神社。

和合稲荷神社は神域内に祀られていた和合大神(伊邪那岐命伊邪那美命)、稲荷大神(宇迦之御魂大神)ほか10柱を合祀した末社である。

【ご利益】
開運招福、地域安全、家内安全、夫婦和合(公式HP
深川神明宮 東京都江東区森下
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