天皇三代の祖父で武神を祀る、初詣に「お鏡あられ」の振る舞い
箭代神社 富山県氷見市北八代787
[住所]富山県氷見市北八代787
[電話]0766-72-1485

箭代神社(やしろじんじゃ)は、富山県氷見市北八代にある神社。北八代の宮とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「箭代神社(越中国・射水郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

創祀年代は不詳。一説には、飛鳥時代の大宝元年(701年)に創祀とも。市内最古、最高位の神とされる。

御祭神は武内宿禰の子である葛城襲津彦命。『古事記』では葛城長江曽都毘古とあり武内宿禰の六男。

『日本書紀』などでは八男であり、神功皇后の頃に新羅を撃ち、第15代応神天皇の頃には加羅国へ派遣された武神として描かれている。

葛城襲津彦命の娘である磐之媛命は、第16代仁徳天皇の皇后で、第17代履中天皇・第18代反正天皇・第19代允恭天皇の生母。

葛城襲津彦命はつまり、天皇三代の祖父でもある。平安時代の藤原道長を先取りした人物ともいえる。

御祭神は、同じく武内宿禰の子である波多八代宿禰とする説もある。八代は、波多八代宿禰の子孫が居住した地だともいう。

八代の地名や社号を持つ神社は全国各地にあり、その多くが波多八代宿禰を祀っている。当社もその可能性がある。

鎌倉時代初期の文治5年(1189年)8月、源義経が奥州下向の際、亀井六郎重清が神馬・太刀を奉納したと伝わる。

もとは、阿尾川の上流である磯辺に鎮座する磯部神社の地に当社が鎮座し、礒部神社はもっと奥の山中、上宮と呼ばれる地にあったとも。

その際、当社は、奥山に八代仙と呼ばれる洞窟があり、その遥拝所だったという。

その後、中世の戦乱で両社が廃絶し、再興された時に当社は愛宕社(火皇産霊神)があった北八代の中山へ遷ったという。

安土桃山時代の天正年間(1573年-1593年)、火災で焼失したため、拝殿あるいは行幸所のあった現在地に遷座した。

古社地である中山は、能越自動車道が通ったために買い取られ、現在は中山の南麓に感之社と呼ばれる小さな祠が再建されている。

感之社は、八坂社とも称され、御祭神は須佐之男命。『氷見市史』には、建御名方神を祀り、厄神堂とも呼ばれるともある。

以上の経緯もあり、近世には愛宕社とも、天満宮(菅原道真)を祀るという資料もあったようだが、八代神社とも呼ばれ、八代庄33ヶ村の総社として崇敬された。

明治5年(1872年)、郷社に列し、昭和5年(1930年)には県社に昇格した。

例祭は3月9日と8月14日。初詣に際しては参拝者に「お鏡あられ」が振る舞われる。

【ご利益】
武運長久・勝運、出世開運、火防、学業・受験合格
箭代神社 富山県氷見市北八代
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