飯田の森鎮座の勝宿大明神、武将の崇敬、特殊神事「小忌祭おいみ」
[住所]鳥取県鳥取市鹿野町寺内155-1
[電話]0857-84-2430

加知彌神社(かちみじんじゃ)は、鳥取県鳥取市鹿野町寺内にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「加知弥神社(因幡国・気多郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

創立年代は不詳。通称飯田の森と呼ばれるところにある。御祭神は彦火々出見命鵜草葺不合命玉依姫命。往古は勝宿大明神と呼ばれていた。

寺内部落の薬師堂付近には、塔礎とみられる礎石がある。遺瓦は奈良後期のもので、勝宿大明神の別当寺の旧跡だといわれている。

「勝宿」の名から、当初、勝見郷の宿村に鎮座していたといい、その後、宮谷あるいは明神ガ鼻(明神ヶ鼻)へ遷り、後、現在地に遷ったという説がある。

当社周辺には、勝見郷・勝部郷・勝部川・勝谷・勝山・勝島と勝の着く地名が多く勝部氏の居住地とされている。

中世以降、武将の崇敬が厚く、戦国時代の永禄8年(1565年)には、武田高信・田公高清・矢田幸佐などが社殿を造営した。

また、安土桃山時代の天正8年(1580年)には吉川元春が戦勝を祈念して社領を寄進した。この際の元春の祈願状と寄進状は県の保護文化財に指定されている。

天正年間(1573年-1593年)、豊臣秀吉は防己尾城落城の時に社領を寄進したという。

江戸時代初期の元和9年(1623年)、池田光政が社殿を修理し、寛永10年(1633年)、国主池田光仲は改めて社領39石6斗9升3合を寄進した。

その後、累代の藩主も崇敬あつく、社殿の営繕あるごとに金殻木材を寄進し、幣帛を奉納した。

明治4年(1871年)、県社に列し、明治40年(1907年)3月には神饌幣帛共進社に指定された。

大正2年(1913年)11月には、当社の摂社および付近の神社14社を境内に合祀して1社を建て、新たに勝宿神社と唱えた。

例祭は10月21日。特殊神事として「小忌祭おいみ」がある。10月15日20時頃から21時頃にかけて行われる。

潔斎した宮司が氏子総代をはじめ10名ほどの氏子を従えて、当社西方1キロの明神ヶ鼻の「忌の森」まで赴き、神酒を供え、忍声で祝詞を奏上する。

往復の道中は無言である。現在は1日だけの神事であるが、かつては15日から例祭日まで1週間毎日行われ、江戸時代にはこれを「ふださし」と称した。

【ご利益】
武運長久・勝運、家内安全、子宝・安産
加知彌神社 鳥取県鳥取市鹿野町寺内
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加知彌神社 鳥取県鳥取市鹿野町寺内の御朱印