時の天皇に「自分は弟子」と言わしめた春澄善縄が住んだ地
[住所]三重県いなべ市藤原町長尾244
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猪名部神社(いなべじんじゃ)は、三重県いなべ市藤原町長尾にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「猪名部神社(伊勢国・員弁郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

員弁川の北岸、集落の中に鎮座する。集落の西北隅の松林の中に春澄氏第宅跡と称する平坦な一角があり、土地の人はそこを「春澄屋敷」と称している。

創祀・創建年代は不詳。他の論社に、東員町北大社の同名神社があるが、そこにも伝わっている春澄善縄・春澄洽子(高子)の父娘の伝承を残す。

御祭神は、猪名部氏の祖神である伊香我色男命。現在までに大山祇神火産霊神・春澄善繩・宇迦之御魂命を合祀する。

先の、いわゆる「春澄屋敷」は、六国史の第4『続日本後紀』の編纂者の一人として知られる「在朝の通儒」善縄を代表する一族の館跡ということだろう。

善縄は、第54代仁明天皇(在位:833年-850年)に、「善縄は先生であり、余は弟子」と言わしめたとされる学識の持ち主。

善縄やその一族の当時の朝廷での活躍により、当社が脚光を浴び、神階も上がり、最終的には式内社に列した、との見方がある。

式内社「猪名部神社」は、平安時代の貞観元年(859年)に神階が従五位下、貞観8年(867年)に従四位に進んだ。

『日本三代実録』貞観15年(873年)9月9日に、天皇に仕えていた掌侍、洽子が旅費として官稲1500束を賜って、氏神である当社に奉納したとある。

例祭は10月9日。

当社の近くには東泉寺があり、その一帯が伽藍遺跡「長尾廃寺」だという。猪名部氏の関与が考えられる伽藍で、平安時代の延暦年間(782年-806年)の創建と伝わる。

なお、式内論社ではないが、いなべ市には大安町高柳にも同名の神社がある。

【ご利益】
学業・受験合格、五穀豊穣・商売繁盛、火防
猪名部神社 三重県いなべ市藤原町長尾
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