式内「伊加良志神社」、全国五十嵐姓のルーツ、もと「若一王子」
五十嵐神社 新潟県三条市飯田2383
[住所]新潟県三条市飯田2383
[電話]0256-46-4007

五十嵐神社(いがらしじんじゃ)は、新潟県三条市飯田にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「伊加良志神社(越後国・蒲原郡)」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社

創建年代は不詳。上田郷・下田郷の開拓者で、第11代垂仁天皇の皇子である五十日帯彦命の墓近く、命を祀るために創祀されたという。

中世、長く当地を支配した五十嵐氏からは氏神として崇敬され、当初は五十嵐家の氏神として館内(五十嵐館)に鎮座していた。

現在地から南に200メートルほどの地ともいわれ、また、鬼門鎮護のため、館から北東方向に鎮座していたともされる。

上杉家の跡継ぎ争いである「御舘の乱」で、五十嵐氏は敗北した上杉影虎方に与したことで没落し、当社も衰微した。

江戸時代になり、村松藩の藩主堀家から庇護され、館が排され丘陵地に遷座し、社領1反4畝が安堵された。

古くから神仏習合し、往時は「若一王子」と呼ばれ、弘法大師空海筆伝「若一王寺」の額も伝わる。

明治になり、神仏分離令を経て現社号に定め、宮内省から「御陵墓伝説地」として認可された。明治5年(1872年)、村社に列した。

明治7年(1874年)に現在地に遷座し、再建された。明治10年(1877年)、村内の十社を合祀し、大正2年(1916年)に県社に昇格した。

現在までに、主祭神を五十日帯日子命とし、大日孁尊大山祇命応神天皇建御名方命倉稲魂命を合祀する。

社宝に、五十嵐小文治吉辰が武芸に優れていたため、弓の名手だった那須与一と親交があったことから、那須与一が使用したとされる木盃、小野道風書伝の額などがある。

なお、当社は全国の五十嵐姓のルーツとされ、五十嵐姓の始祖が、当社御祭神である五十日帯日子命になる。全国五十嵐会がある。

なお、式内社「伊加良志神社」の論社は他に、三条市北五百川字宮地に鎮座している八木神社がある。

【ご利益】
地域安全、一族・子孫繁栄、開運招福
五十嵐神社 新潟県三条市飯田
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