津島の女神を奉斎、大坂夏の陣で焼失、江戸期には大宮天満宮
津島部神社 大阪府守口市金田町6-15-6
[住所]大阪府守口市金田町6-15-6
[電話]06-6901-4763

津島部神社(つしまべじんじゃ、津嶋部神社)は、大阪府守口市金田町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 河内国 茨田郡「津島部神社」に比定される式内社(小社、鍬靫)。近代社格では郷社。

創祀年代は不詳。もとは現在地の北東約500メートル附近の対馬江村にあった。「神置」「神の木」「神絹」などの地名が残る。

かつて淀川は現在よりやや南を流れ、その中洲のような所が津島と呼ばれ、往昔の船着場だったという。

そのため、津島江といわれ、神社と同名を憚って同音の対馬江に変えたという。後、洪水で流され、現在地に移ったという。

対馬国発祥と思われる、津島朝臣、津島直の一族が当地で祖神を奉斎して創祀したと考えられている。

御祭神は津島女大神。別名は天之狭手依比売、と『古事記』にもある津島のことか。

『日本文徳実録』に「嘉祥3年(850年)12月、河内国津嶋女神従五位上」とある。茨田郡の一の宮だったともいう。

神宮寺だった隣接する禅宗金龍寺に、当社の御霊代として祀られていた懸仏がある。直経1尺5寸2分の円形木版に銅の押出仏が貼られている。

中央は弁財天と思われる女神像で、手に団扇と念珠を持っている。裏面に「奉納大宮御神前、寛徳2年(1045年)乙酉2月吉日、三井村中」と墨書されている。

他の神宮寺に、豊蔵寺・大竜寺があったが、現在は残っていない。

当時の氏地は現在の守口市と寝屋川市の両市にわたり、境内地は今より広大で、古松・老楠が繁り、荘厳な鎮守の森を形成していた。

絵馬殿・宝物庫・地車庫・観音堂などがあり、本殿・幣殿・拝殿は総桧皮葺で、壮麗を極めたという。

しかし、元和元年(1615年)、大坂夏の陣の兵火によって、社殿が炎上した。その後再建されたが、現在の結構は元禄年間(1688年-1704年)の再建によるもの。

寛永10年(1633年)、淀の城主永井信濃守尚政がこの地を領した際、菅原道真公を合祀し、神領500石を寄進、大宮天満宮と称し、厚く崇敬されたという。

江戸時代後期の天保7年(1836年)6月4日にも社殿が再建された。

明治5年(1872年)、郷社に列し、明治15年(1882年)、現在の社殿が造営された。明治40年(1907年)8月1日、神饌幣帛料供進社に指定された。

総瓦屋根だった社殿を昭和59年(1984年)10月、総銅板葺に葺替えられ現在に至る。現在までに素盞鳴尊も祀られている。例祭は10月第3土曜日。

府下で最古の慶長13年(1608年)の銘を持つ芴谷石製の石造狛犬が伝わっている。拝殿前に石組みがあり、六角形の石が中央に座る。

境内に、皇太神宮・白龍稲荷社・若宮天満宮・厳島神社・山王神社などを祀る。

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津島部神社 大阪府守口市金田町
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