旧沢良宜の地、東奈良遺跡や銅鐸、鋳造工房跡で奉斎される神
佐和良義神社 大阪府茨木市美沢町9-27
[住所]大阪府茨木市美沢町9-27
[電話]072-622-8689 - 井於神社

佐和良義神社(さわらぎじんじゃ)は、大阪府茨木市美沢町にある神社。通称「大宮さん」。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 摂津国 島下郡「佐和良義神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。佐和良臣が祖神を祀ったとの説がある。『新撰姓氏録』に「早良臣、平群朝臣同祖、武内宿禰平群都久宿禰之後也」とある。

ただ、社名の佐和良義、旧地名の沢良宜には諸説ある。筑前国には早良郡早良郷があり、美作国には佐波良神社があって、関連が指摘される。

また、檜の木に似たさわら、湿地帯に咲く菊科の多年草である澤蘭(佐波阿良々木)など。鎮座地は淀川に近く、湿地帯であり、可能性はあるともいう。

周辺は東奈良遺跡という弥生時代から室町時代にかけての複合遺跡であり、方形周溝墓、銅鐸の鋳型などが出土している。

現在の御祭神は加具土神であり、この銅鐸との関連を見る考えもある。また、それ以降の金属精錬などで火の神が祀られたともされる。

カクツチはカグの神、カグは銅の古語、サワラも銅器を指し、地名と神名が一致する、という。ギはムラの意。

当社から北に300メートルほどに鋳造工房跡があり、「さわらぎ遺跡」と呼ばれているという。出土品はすぐ近くの文化財資料館に展示されてる。

社前に江戸時代中期の明和5年(1768年)の石燈籠があり、天児屋根尊の神名が刻まれており、藤原氏の影響や、天児屋根尊を御祭神に加える説もある。

明治5年(1872年)、村社に列した。明治40年(1907年)8月の豪雨で、川が決壊し、社殿が流失。

大正5年(1916年)5月28日、神饌幣帛料供進社に指定され、大正6年(1917年)に本殿・拝殿・器具庫が再建された。例祭は10月17日。

境内社に八幡宮(応神天皇)がある。もとは沢良宜城の鎮守社で、沢良宜城は室町時代、早くに退転して農地となっていた。石清水八幡宮から勧請されたものだという。

社叢は市の保存樹林。大阪みどりの百選「元茨木川緑地の桜」にも指定され、4月上旬の花見の頃には境内にも桜並木が続き、出店があって賑やかになる。

【ご利益】
産業振興、事業成功、火防、厄災除け
佐和良義神社 大阪府茨木市美沢町
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