『日本書紀』記載の謎の罪、日本初のボーイズラブ(BL)?
「阿豆那比の罪」に関連する神社
阿豆那比の罪(阿豆那比之罪、あづなひのつみ/あずないのつみ)とは、『日本書紀』神功皇后の段に記載されている罪の一つである。

『古事記』や他には見えない。文脈や文意が不鮮明であり、どのような罪なのか諸説あるが、関西地方を中心に、この故事に関連した伝承を残す神社が複数ある。

『日本書紀』記載の大意は以下の通り。原文はこちら
神功皇后は紀伊国に至った。太子と日高で会った。群臣と軍議を行って、忍熊王を攻めようとし、小竹宮に移った。

この時、昼なのに夜のように暗くなった。そんな日が何日も続いた。人々は「常夜だ」と言い合った。

神功皇后は紀の直の祖である豊耳に、「何事ぞ?」と聞いた。そこで老人が「聞くところによる、「阿豆那比の罪」というものです」と答えた。

「それは何ぞ?」と皇后が再度聞くと、「2人の祝を併せて葬ることです」と答えた。村内で聞くと、ある人が次のようなことがあったと言った。

小竹祝と天野祝は友人だった。小竹祝が病によって死に、天野祝は嘆き悲しみ、「生きて交友した、死しても同じ墓穴で」と言って、友の死骸に伏せて自殺した。

そこで、2人をあわせて埋葬した。実際にその墓を開けてみると、確かにその通りだった。そこで棺を改め、それぞれ別に葬った。

すると日は輝き、昼と夜が別になった。
素直に考えれば、「阿豆那比の罪」とは、「2人の祝を併せて葬ること」となる。通常、これは「異なる神社に仕える神職を同所に埋葬した罪」と理解される。

神職は生前仕えていた神に死しても仕えることが期待されたため、神社ごとに神職を埋葬する場所が決まっていた、ともされる。

一方で、2人の神職の同性愛に伴う罪とも指摘される場合がある。日本初のボーイズラブ(BL)、とも。確かに物語の描写はそれを匂わす。

ただ、古代日本において、同性愛は宗教的禁忌ではなかった、つまり「罪」とはならない、との指摘もある。

どちらにしろ、何日も暗闇が続くという天変地異を起こした罪であるにもかかわらず、この「阿豆那比の罪」は以降の他の文献では確認できない。

解釈や論説については、こちらが詳しいが、なぜこの件がかなりの分量が割かれ『日本書紀』に掲載されなければならなかったのかは、謎。

『日本書紀』編纂者もこの件が意味不明で、色々と端折った結果、ともされるが、では、そもそもこの件を掲載しない、という選択肢はなかったのだろうか。

『古事記』には比較的簡単にしか記載されていないものの、忍熊王との決戦に前後した、非常に重要な時期だったはずなのに。

ここでは、この『日本書紀』に掲載された話しを伝承として残す神社を挙げた。

天野祝 丹生都比売神社

丹生都比売神社 和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野
[特徴]名神大社、紀伊国一宮官幣大社
[住所]和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230
[電話]0736-26-0102

小竹宮 小竹八幡神社

小竹八幡神社 和歌山県御坊市薗
[特徴]祝塚、10月御坊祭でけほん踊り
[住所]和歌山県御坊市薗646
[電話]0738-22-0089

小竹宮 志野神社

志野神社 和歌山県紀の川市北志野
[特徴]江戸初期に怪異あり復興
[住所]和歌山県紀の川市北志野557
[電話]-

小竹宮 舊府神社

舊府神社 大阪府和泉市尾井
[特徴]式内。国府、珍之宮の跡か、信太の森
[住所]大阪府和泉市尾井198
[電話]0725-41-7433

小竹宮 波宝神社

波宝神社 奈良県五條市西吉野町夜中
[特徴]式内。地名「夜中」と神功皇后の祈祷
[住所]奈良県五條市西吉野町夜中176
[電話]-

改葬地 丸笠神社

丸笠神社 大阪府和泉市伯太町
[特徴]式内。丸笠山古墳に和泉国皇大神を奉斎
[住所]大阪府和泉市伯太町4丁目
[電話]0725-44-8182 - 泉井上神社
皇后、南詣紀伊國、會太子於日高。以議及群臣、遂欲攻忍熊王、更遷小竹宮。小竹、此云芝努。適是時也、晝暗如夜、已經多日、時人曰、常夜行之也。皇后問紀直祖豐耳曰「是怪何由矣。」時有一老父曰「傳聞、如是怪謂阿豆那比之罪也。」問「何謂也。」對曰「二社祝者、共合葬歟。」因以、令推問巷里、有一人曰「小竹祝與天野祝共爲善友、小竹祝逢病而死之、天野祝血泣曰『吾也生爲交友、何死之無同穴乎。』則伏屍側而自死、仍合葬焉。蓋是之乎。」乃開墓視之、實也。故更改棺櫬、各異處以埋之。則日暉爃、日夜有別。
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