『日本書紀』の「小竹宮」伝承地、江戸初期に怪異あり復興
志野神社 和歌山県紀の川市北志野557
[住所]和歌山県紀の川市北志野557
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志野神社(しのじんじゃ)は、和歌山県紀の川市北志野にある神社。御朱印の有無は不明。

創祀年代は不詳。『日本書紀』に神功皇后が遷ったとある「小竹宮」、あるいはその跡に比定する説がある。

小竹宮(しののみや)は、神功皇后が忍熊王との戦いにおいて、紀伊国で滞在した地であり、「阿豆那比の罪」とその天変地異に遭遇した地。

小竹祝と天野祝を同じ墓に埋葬したために、昼なのに夜のように暗くなった。これを改葬して、ようやく昼と夜が分かれた、という。

小竹祝は小竹宮の、天野祝は丹生都比売神社の祝のこととされる。小竹宮の他の伝承地に、県内御坊市に小竹八幡神社、大阪府和泉市に舊府神社、奈良県五條市に波宝神社がある。

ただし、丹生都比売神社とは近かったことが考えられ、和歌山県の二つが有力か。また、改葬されたことに関する伝承が大阪府和泉市の丸笠神社に残る。

どちらにしろ、当社は国史見在社の可能性がある。しかし、以後の当社に関する由緒は不詳。その後荒廃し、所在も不明になったようだ。

紀伊国和歌山藩初代藩主である徳川頼宣(在位:1619年-1667年)、いわゆる南龍公の時代。この地で奇妙な光と地鳴りが起こり、藩主の耳にまで達した。

藩主と村人が相談したところ、天正年間(1573年-1593年)、兵火に焼かれた神社があったことが判明した。

そこで新たに社殿を建立した。そうすると、奇妙な光や地鳴りが消えたという。

こうして当社は復興した。別当は真言宗古義伊都郡萩原村神宮寺未の和光山宝塔院だった。

東屋御前神社、三社明神とも呼ばれた当社は、現在の本殿鎮座地が以前よりやや北に移っているが、容姿などはほとんど変りなく、保たれているという。

現在までに主祭神は、天言代主命加具土命・息長帯姫命。市杵島姫命倉稲魂命豊宇気姫命日本武命少彦名命須佐男命を配祀する。

境内社として、熱田社・蛭子社・稲荷社・丸山稲荷社がある。

例祭は10月10日。現在は10月第2日曜日で、餅投げなどがあり、賑わっており、祭典終了後は、宮講の式も執り行われるという。

宮座として、「木村座」「稲垣座」の2座があり、1月・10月には座の式も執り行われている。

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志野神社 和歌山県紀の川市北志野
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