仁徳紀の巨樹の根元に鎮座、木魂→船玉を奉斎する古社
楠本神社 大阪府岸和田市包近町1448
[住所]大阪府岸和田市包近町1448
[電話]072-479-0134 - 積川神社

楠本神社(くすもとじんじゃ)は、大阪府岸和田市包近町にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 和泉国 和泉郡「楠本神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

当地は、古来南郡に属し、もとは山直郷の中の包近村(かねちかむら)と称されていた。

創祀年代は不詳。もとは、現在地から200メートルほど西の宮山と呼ばれる地に鎮座したという。

『古事記』第16代仁徳天皇の段に「兔寸河の西に一つの高樹あり」とある、その高樹の根元に鎮座していた、とも(『古事記』該当部分)。

御祭神は楠の木の木霊だったが、船の用材に適していたので船玉さんになったという。船玉大神、船玉神、楠本神とも称される。

『古事記』では、その高樹の影が淡路島にかかった、と表現されているが、当社の東北1.5キロに淡路神社が鎮座する。

当社の木霊に対して、淡路神社では水霊を祀るとする説もある。 なお、この巨樹に関しては、高石市の等乃伎神社に関連伝承が残る。

大和岩雄『日本の神々』によれば、当社の旧地、大鳥神社開口神社住吉大社が直線上に並ぶと指摘している。

また、当社の旧社地、当社の近くの摩湯山古墳の長軸線、日部神社の旧社地、大仙陵古墳の長軸線とが直線上に並ぶともいう。

当社はかつて東向きに配置されていたが、真東は大和葛城山頂にあたる。現在は南向きになっている。

楠船神とも、天鳥船神とも称えられ、国内神名帳では従三位、境内は広大で、社殿は壮麗、七堂伽藍も建立したという。

かつて畑の中に鳥居があり、包近の捨鳥居と呼ばれ、白河法皇宸筆の額が掲げられていたが、暴風雨のため牛滝川に流された。

それが、伊勢の白子の里に漂着した。額には白髪大明神と書かれていたという。

安土桃山時代の天正年間(1573年-1593年)、織田信長の頃とされるが、菅原大神を相殿に祭祀し、俗に天神とも呼ばれた。

しかし、江戸時代初期の慶長年間(1596年-1615年)、兎寸河、現在の牛滝川の大水で、社殿や古書類、付近の家屋含めてことごとく流失。

その後再建され、包近村の氏神として崇敬され、明治5年(1872年)には村社に列した。

大正4年(1915年)12月21日、字垣外の村社八幡宮(品陀別命)を合祀した。

例祭は10月8日。だんじりの曳行と宮入りがある。

【ご利益】
産業振興、事業成功、学業・受験合格
楠本神社 大阪府岸和田市包近町
【関連記事】
大阪府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、大阪府に鎮座している神社の一覧