由緒や御祭神に諸説、不破内親王と摩湯山古墳、摩湯の産土神
[住所]大阪府岸和田市摩湯町576
[電話]072-445-0768 - 菅原神社

淡路神社(あわじじんじゃ)は、大阪府岸和田市摩湯町にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 和泉国 和泉郡「淡路神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。御祭神は菅原道真とされるが、これは戦国時代の永正14年(1517年)、社殿を改築した際に合祀したもの。

それ以前の御祭神は伝わっておらず、諸説ある。『神名帳考証』では、大国御魂神と類推している。

また、『神社覈録』では、『古事記』第16代仁徳天皇の段にある巨樹の説話に関連して、楠本神社を木霊とし、当社を対となる水霊と推定している。

この巨樹の説話に関しては、高石市の等乃伎神社に関連伝承が残る。

近接する、国の史跡に指定されている摩湯山古墳が、不破内親王の墓であるとの伝説があり、これと結び付ける御祭神と創祀に関する話も残る。

聖武天皇の皇女である不破内親王は、天武天皇の孫である塩焼王と結婚し、氷上川継をもうけたが、その川継が謀反を起こした。

その罪に連座した不破内親王は淡路に流された。その後、和泉の当地に戻ってくる際、淡路国の伊佐奈岐神社伊佐奈岐命)を勧請した、というもの。

そうであれば、当社の創建は平安時代の延暦14年(795年)頃となる。この説の利点は、社号の説明がつきやすいこと。

また、当社は北緯34度27分46秒、東経135度26分10秒に位置し、伊弉諾神宮と伊勢の神宮(伊勢神宮)を結ぶ線上に祭祀されているとの説がある。

現在は、当社の参道鳥居前に伊勢神宮遙拝の大神宮灯篭が建立されている。

明治の廃仏毀釈の前までは長泉寺が同一の境内に存在した。その名残りが長泉寺井戸。当時の仏像は町にて保管され現在は大師堂に安置されている。

以降、先の戦国期の改築と合祀の他、明治5年(1872年)に村社に列するまでに由緒は伝わっていない。以後、摩湯の産土神として崇敬された。

昭和30年代(1955年-1964年)に拝殿の建て替えが行われたが、昭和56年(1981年)に大鳥居が建立され、平成10年(1998年)に本殿の修復にあわせ、拝殿も新築された。

拝殿と本殿は北向き。菅原道真を北向きに祀るケースはたまに見られるが、伊佐奈岐命の場合はほとんどなく、御祭神を伊佐奈岐命とするのを否定する材料になっている。

例祭は10月8日。だんじり祭りで、だんじりの曳行と宮入りが行われる。

【ご利益】
家内安全、一族・子孫繁栄、学業・受験合格
淡路神社 大阪府岸和田市摩湯町
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