飛鳥朝に紀伊を勧請、歴代武将の崇敬、神の怒り、中山神社とも
[住所]福島県いわき市平中山字宮下81
[電話]0246-28-4158

佐麻久嶺神社(さまくみねじんじゃ)は、福島県いわき市平中山にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「佐麻久嶺神社(陸奥国・磐城郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

飛鳥時代、文武天皇の慶雲元年(704年)4月7日の勧請と伝わる。御祭神は、五十猛命

社伝によれば、紀伊国名草郡日前国懸大神の分祀。しかし、御祭神から考えて、同じ紀伊国でも伊太祁曽神社の分祀と考えられている。

社名は、御祭神の別称である有功神(いさをしのかみ)のさ「佐」、麻久は「蒔く」、嶺は「美称」だという。

ただし、御祭神に関しては異説もあり、石城国造の祖である神八耳命であるとする説もある。当社頭掲示でも、神八耳命を併記している。

平安時代、桓武天皇の延暦年間(782年-806年)、坂上田村麻呂が東征の際、武運長久を祈って、薄磯の海浜において潮垢離の神事が行われたという。

その後、源義朝、足利尊氏、徳川家康など歴代の武将が祭使を派遣して神事が執行されたという。

室町時代、応仁の乱(1467年)の頃、当時の神官だった中山彦次郎は、戦争に巻き込まれ、祭事を廃し、旧記や神領などをことごとく失った。

その娘が一時、矢田村へ家を移し、神を勧請して、郷民が社を建て、奉斎された。

しかし、神霊は旧社を慕って毎夜、中山の嶺に光を放つので、時の村主植田平六はこの噂を嫌がり、社を破壊したという。

平六の子孫は神の怒りに触れて滅亡したと伝わる。また彦次郎は、現在にまで連なる宮司家である小野氏の祖。

彦次郎は一時は中山領主だったためか、中山氏を名乗った。当社そのものも、中山神社と称したという。

関連して、現在の鳥居が、美作国一宮である中山神社と同様の形式になっている、との指摘がある。

その後、旧地に社を遷したが、江戸時代前期の天和2年(1682年)3月、雷火にあって焼失。

陸奥磐城平藩3代藩主で、平城主の内藤義泰が翌天和3年(1683年)年8月に再建し、山林1町歩を寄進した。

伝えられるところ、境内の南に神宮寺跡と称する畑がある。明治9年(1876年)11月、郷社に列した。

例祭は、もとは旧暦4月7日だったが、昭和34年(1959年)から5月5日に変更された。神輿渡御祭と呼ばれる。5月最終土・日曜日には郷ヶ丘例大祭がある。

境内は、主として常緑広葉樹に囲まれ、それぞれ樹勢も盛んだが、これらを睥睨するかのように、自然植生のスギの大木が森に君臨している。

幹回り約8メートル、樹高25メートル以上。一部に空洞がみられるが、樹齢1200年あまりという、堂々とした御神木。

境内にはケヤキ、シイ、カヤ、シダジイ、ヒノキ、そして北限のツクバネガシなどの大樹類も林立しており、木の神を祀る社にふさわしい社叢を形成している。

境内社に、八坂神社、古峯神社、稲荷社、子安神社、熊野神社、諏訪神社などがある。

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佐麻久嶺神社 福島県いわき市平中山
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