田村麻呂が勧請、日本刀発祥の地「舞草鍛冶遺跡」、往時は巨大伽藍
[住所]岩手県一関市舞川町字舞草太平5
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儛草神社(まいくさじんじゃ、舞草神社)は、岩手県一関市舞川町舞草太平にある神社。「もくさ」とも呼ばれる。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「儛草神社(陸奥国・磐井郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

観音山の山頂付近に鎮座。一関と平泉の境界にあたる。社伝によれば、平安時代初期の大同2年(807年)、坂上田村麿によって聖観音が勧請され、創建された。

仁寿2年(852年)8月には従五位下が授けられた。当初は「きば寺」と呼ばれ、後には吉祥山東城寺と称した。

古くは、白山岳に鎮座していたという伝承もある。白山岳周辺には、鍛冶遺跡があり、舞草鍛冶として有名で、全国の刀工の祖神としての崇敬も篤い。

舞草に鍛冶がいて、刀剣を鍛えていたことは、鎌倉時代に書かれた京都の観智院に伝わる観智院本をはじめ、数多くの刀剣誌に書かれている。

そのため、日本刀発祥の地と称される。ただし、その具体的な所在や古跡は長らく不明だった。

昭和42年(1967年)、郷土史研究家佐藤節郎が白山岳附近で鉱滓を発見。岩手大学板橋教授によって調査が実施され、古代のタタラ跡が発見された。

舞草刀は、日本刀が直刀から湾刀へと移り変わる時期の初めの頃とされている。舞草鍛冶は往時の陸奥国にあって武器づくりの集団として欠くことのできない存在だった。

平泉全盛の頃は二十四院を数え、観音堂を囲んで散在したという。羽場の観音とも称せられた。

この吉祥山東城寺は奥州33番のうち27番札所として栄えたが、明治になり、神仏分離の結果、現社号に復した。

大正2年(1913年)11月には熊野神社を合祀。現在までに御祭神は、蒼稲魂命伊邪那岐尊伊邪那美尊

本殿、拝殿の他、仁王門や鐘楼なども残り、神仏習合時代の名残を多くとどめている。

例祭は4月17日、8月17日。ゲーム『刀剣乱舞』の人気から、その聖地巡礼の一つとしても注目されている。

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産業振興、事業成功、家内安全、商売繁盛
舞草神社 岩手県一関市舞川町
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