持統天皇御幸以来の例祭、泉州最古の戎様・脇浜戎大社、火渡り
[住所]大阪府貝塚市脇浜3-34-1
[電話]072-422-5598

高龗神社(たかおかみじんじゃ)は、大阪府貝塚市脇浜にある神社。近代社格では村社。難字から、高おかみ神社とも。合祀した脇浜戎大社の方が現在では有名。

現在は、高龗神社・脇浜戎大社と表記されるか、脇浜戎大社が単独で使われることが多い。参拝すれば、両社の御朱印を頂ける。

創祀・創建年代は不詳。飛鳥時代の朱鳥4年(690年)9月、第41代持統天皇は紀伊国からの帰途、網曳御厨の前身の漁場に立ち寄り、この地の民の地引き網を視察した。

この漁場は、第33代推古天皇によってその基礎が築かれたものだったが、壬申の乱などの戦乱で荒廃していた。

持統天皇は漁場の再整備と拡張を命じ、22日に当社で倭舞という神楽を催したという。以来、当社の例祭は9月22日となった。

この倭舞の伝統は明治期には途絶え、今は倭舞に使われた面などの一部が村の旧家に残されているのみ。

当社の御祭神は高龗神。古来より水の神として、この地の稲作の民に崇敬され、八大竜王社、または龗の社とも呼ばれていた。

当社は市を東西に流れる近木川の河口に鎮座するが、川の源である和泉葛城山の森にも龗の神が祀られている。

古来より雨の神として崇敬され、干ばつの年に祈れば必ず霊験があるとされた。当社の沖合8町(約800メートル)ほどの浅瀬に竹を立て、老若男女が雨乞踊りを奉納したという。

明治5年(1872年)、当社は村社に列した。10月には貝塚だんじり祭りとして、石才からだんじりが出る。

境内社に、八百萬神社・祖霊社がある。また、戎像も安置されている。

『延喜式』では、先の「網曳御厨」が記載され、この地から毎月子と巳の日に塩漬けの鯛・鯵、干し魚や魚の内臓で作った調味料など20石6斗を都に納入するとある。

脇浜戎大社は、脇浜・近木崎の戎社と加治村の嘉冶穂神社を合祀したものだが、その戎社は網曳御厨の守護として創祀されたと伝えられる。御祭神は事代主命

明治44年(1911年)11月18日、脇浜戎大社は神前神社を合祀した。『延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 和泉国 日根郡「神前神社」に比定される式内社(小社)である。

神前神社の旧地は、現在の貝塚市畠中であり、西小学校の敷地。「神前」は「神崎」で、脇浜と近木川下流によって形成された三角地帯のこととされる。

神前神社の創建年代は不詳。御祭神も不詳とされるが、少彦名命、あるいは武甕槌神などの説がある。

この神前神社を合祀した脇浜戎大社も、大正元年(1912年)12月27日、当社に合祀された。この他にも、当社には下記の各社が合祀されている。

脇浜の鹿島神社・八幡神社・大神社・市杵島神社、石才の市杵島神社、畠中の厳島神社・八坂神社・八坂神社・八島神社・菅原神社、加治の出口神社・鹿志摩神社、神前の八坂神社・春日神社。

脇浜戎大社の例祭は1月10日で、十日戎(十日えびす)が行われる。泉州最古の戎様「脇浜のえべっさん」として親しまれている。

普通の十日戎と同じように、福娘たちが吉兆や福笹の授与に奉仕し、甘酒の無料接待がある。

最も特徴的なのは、本戎10日13時から行われる火渡りの儀式。「柴灯大護摩供」の後に行われる。えびすと修験道という、興味深い組み合わせ。

【ご利益】
大漁満足・商売繁盛、水の神、祈雨・天候(公式HP
高龗神社・脇浜戎大社 大阪府貝塚市脇浜
【関連記事】
十日戎・日本三大ゑびすとは? - 「えべっさん」関西地方の冬の定番風物詩、福娘に福笹
大阪府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、大阪府に鎮座している神社の一覧
高龗神社・脇浜戎大社 大阪府貝塚市脇浜の御朱印