崇神朝の創祀、允恭軽皇子が幣帛、藤田三郎の大蛇退治伝説
[住所]兵庫県加東市藤田473
[電話]0795-42-0269

木梨神社(こなしじんじゃ)は、兵庫県加東市藤田にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 賀茂郡「木梨神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

第10代崇神天皇の時代、物部八十手が八十枉津日神を祀ったのが創祀だという。

その後、第9代開化天皇の第三皇子である彦坐王が丹波の賊を征伐した時、当地において神託があり、創建したと伝わる。

社号「木梨」は、第19代允恭天皇の第一皇子である木梨軽皇子が幣帛をささげたことによるという。『古事記』のヒーローの一人ではあるが、具体的な事跡が伝わるのは珍しい。

平安時代の延喜22年(922年)、多田満仲(源満仲)が社殿を再建したという。しかし、満仲はこの年、10歳前後のはず。

現在までに、八十枉津日神の他、大直日神神直日神底津少童神中津少童神表津少童神(ワタツミ三神)、底筒之男神中筒之男神表筒之男神住吉三神)を御祭神とする。

後に、この大池に大蛇が住むようになり、藤田三郎太夫行安という武士が当社に祈願して、これを退治した伝説が有名だという。

付近には多田池とも、藤田池とも呼ばれる池があったという。この池に大蛇が棲んで人を食べると恐れられた。

その100年ほど前、西国巡礼の旅の人が、摂津の昆陽池を通りがかった時、一人の若い女性から播磨国の福田郷にある多田満仲が築いた大池のある村の者に届けてほしいと託された文箱があった。

その文箱の中にいた一匹の蛇が、池に入り込み、やがて大蛇になったという。

藤田三郎が大蛇に射た矢の先が、当社の宝物とされているという。また、射かけられた大蛇がのたうちまわった場所は草木も生えず「蛇ころび」と呼ばれているという。

大蛇がいつも寝て、枕にしていた場所を「蛇枕」と呼び、藤田三郎太夫の屋敷跡とされる広い平らな場所からは、かつて矢の根も出てきたという。

現在の地名もこの藤田三郎太夫行安に基づくもの。当社境内には藤田三郎太夫行安を祀る三郎太夫神社がある。

その後、藤田明神とも聖九社明神とも呼ばれ、明治6年(1873年)11月、郷社に列し、大正8年(1916年)2月、神饌幣帛料供進社に指定された。

例祭は10月第1日曜日。藤田・木梨・下三草の3地区の氏子により、舞台で獅子舞や子ども太鼓、演芸、餅まきなどが行われる。

境内社に、本殿右に市杵嶌神社、その右に皇太神宮と三郎太夫神社、本殿左に愛宕神社、八幡神社、恵比須神社。他に、大歳神社、金刀比羅神社がある。

【ご利益】
厄災除け、方除け、武運長久・勝運
木梨神社 兵庫県加東市藤田
【関連記事】
兵庫県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、兵庫県に鎮座している神社の一覧