光圀も愛でた天然記念物のサクラ、多くの女神で安産の神
[住所]茨城県桜川市磯部779
[電話]0296-75-2838

磯部稲村神社(いそべいなむらじんじゃ、礒部稲村神社)は、茨城県桜川市磯部にある神社。櫻川磯部稲村神社とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 常陸国 久慈郡「稲村神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

第12代景行天皇40年10月、日本武尊伊勢の神宮(伊勢神宮)の皇大神宮(内宮)の別宮である荒祭宮を礒宮として当地に奉遷したと伝わる。

磯部大明神とも称された。平安時代、仁明天皇の嘉祥2年(849年)、水旱の際に桜川の源である折鏡ヶ池において祈雨祭が執行された。

式内社ともされるが、当地を「稲村神社」が属する久慈郡とするには無理がある。ともかく、天慶2年(939年)には平貞盛が平将門追討を祈願した。

江戸時代初期、第108代後水尾天皇(在位:1611年-1629年)による礒部大明神の勅額が下賜され、これが現存する。

特に古来より安産守護神として崇敬され、神札が授与される。御祭神は現在までに下記の通りで、12柱中8柱が女神で、比率が高く、安産信仰が生まれたか。

天照皇大神栲幡千々姫命・瀬織津姫命・木花佐久耶姫命天太玉命玉依姫命天手力雄命・玉柱屋姫命・天宇受売命倭姫命天児屋根命・日本武尊。

日本武尊は創祀者としての後の合祀として、すべてが荒祭宮の御祭神ではないものの、いずれも伊勢神宮となじみ深い御祭神。玉柱屋姫命は伊雑宮の由緒に見える神名。

例祭は11月15日で、秋季例大祭。7月24日より前には祇園祭が行われる。閏年の旧暦7月11日には臨時大祭が行われる。

境内社に鹿島社・香取社・諏訪社・息栖社・小聖社・足玉社・蔵王社・天神社・浅間社・稲荷社・神前社・咳嗽社(御手洗)があり、他に末社32社を祀る。

境内本殿の後方、西北5メートルほどの所に要石がある。縄文時代から信仰されたものだという。形状は凸。

一説に、鹿島神宮の要石は凹形で、当地が鹿島の神領だった縁もあり、鹿島神宮の要石は鯰の頭を押さえ、当社のは尾を押さえ、地震を防いでいると伝わる。

ただし、鹿島神宮とよく対となって語られる香取神宮の要石も凸形で、鹿島神宮の要石と対応している。

他に、鎌倉時代の作とされる薬師如来坐像、室町時代の作とされる狛犬などがあり、県の文化財に指定されている。

「城館跡 磯部館跡」で、参道や、当社が鎮座する丘の斜面に、東北地方に産する白山桜と呼ばれる多くの山桜が見られ、桜の名所として知られる。

淡紅色の花ばかりでなく芽ぶきの時期の赤芽も見事。そばにある磯部桜川公園を含んだ周辺一帯は国の名勝に指定されている。

また、当社及び公園にある桜が、「桜川のサクラ」として、国の天然記念物に指定されている。

謡曲「桜川」は室町時代の永享10年(1438年)、当社神主である磯部祐行が関東管領足利持氏に花見噺「桜児物語」一巻を献上、この物語をもとに将軍足利義教が、世阿弥元清に作らせたものとされる。

謡曲「桜川」の中に出てくる、磯部寺のモデルとなった当社の神宮寺の跡が当社境内にある。

江戸時代には、歴代将軍により隅田川堤、玉川上水など江戸の花見の名所を造営する際、当地から植樹されたという。

水戸市内を流れる桜川は、水戸光圀が当地の桜を気に入り、桜の苗木を数百本移植したことを機に、命名したものと伝えられる。

なお、式内社「稲村神社」の論社は他に、常陸太田市天神林町の稲村神社、大子町の近津神社がある。

前者は創祀以来の天神で、稲村の地名にちなむ比定であり、後者は式内当時は陸奥国だった。当社含め、いずれも決定打に欠ける。

【ご利益】
開運招福、産業振興、厄災除け、安産
磯部稲村神社 茨城県桜川市磯部
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