揖保川、「北方殿」伊和神社に対する南方殿、赤松氏の崇敬
夜比良神社 兵庫県たつの市揖保町揖保上391
[住所]兵庫県たつの市揖保町揖保上391
[電話]0791-67-8027

夜比良神社(やひらじんじゃ)は、兵庫県たつの市揖保町揖保上にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 揖保郡「夜比良神社」「阿波遲神社/阿波遅神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社

創祀年代は不詳。神紋は子持ち亀甲に米。御祭神は国作大己貴命で、別名に大国主命・大汝命などがあり、『播磨国風土記』にある葦原醜男命。

はじめに出雲国を開拓した大神は、因幡国を経て播磨国に入り、伊和神社に鎮座した。

その後、揖保川に沿って南下し、「いひぼの里」(揖保里・粒里)、つまり粒丘に足を留め、人々を教導し、災禍を祓い、除いた。

これにより、播磨国の一宮である伊和神社を「北方殿」、揖保川流域の南に鎮座する当社を「南方殿」と呼ばれるようになった。

また、伊和神社が北向きに建って、主として国内北部を経営したのに対し、当社は南向きで、国内の南方を開拓したともいう。

中世には、下揖保荘の総鎮守として、播磨国の豪族赤松氏の尊崇を受け、「神式は赤松政村これを定む」と今に伝えられている。
赤松広秀(古龍野城の最後の城主)
やひら手を 取りにし神も あらましを きねか鼓の 音は絶せぬ
当初は氏子域はすべて揖保川右岸にあったが、戦国時代の永正13年(1516年)、あるいは享禄年間(1528年-1531年)、洪水により、揖保川の流れが変わった。

これにより、氏子域が分断されたが、左岸となった正條や新在家の人々は渡し舟、いわゆる「夜比良の渡し」を利用し、参詣を続けたという。

明治7年(1874年)2月、郷社に列し、大正2年(1913年)2月には県社に昇格した。

例祭は10月体育の日の前日で、秋季例祭。新在家地区により獅子舞が奉納され、今市地区により太鼓が奉納される。また、氏子総踊り(伊勢音頭・播州音頭)がある。

八枚(八尋)社刀踊りなどもあったというが、今では途絶え、伝わっていない。

境内社に、建速神社(須佐之男命)、稲荷神社(天宇受売命稲倉魂命佐田比古命)がある。

なお、当社は式内社「夜比良神社」として確度は高いが、「阿波遅神社」も含めて、中臣印達神社に合祀されたものが論社。また式内社「阿波遅神社」は他に、姫路市の山戸春日神社も論社。

【ご利益】
五穀豊穣、病気平癒、健康長寿、縁結び
夜比良神社 兵庫県たつの市揖保町揖保上
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