甲斐国熊野四所の一つ、水害多く、江戸初期に式内御神体を安置
熊野神社 山梨県甲府市国母4-2-13
[住所]山梨県甲府市国母4-2-13
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熊野神社(くまのじんじゃ)は、山梨県甲府市国母にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 甲斐国 巨麻郡「笠屋神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

社記によれば、平安時代初期の大同年間(806年-810年)、紀伊国から勧請されたという。

本宮新宮那智の神を祀り、国の母の神、あるいは国の母神の宮と称したという。国母という地名の由来か。

巨摩郡小河原、八代郡八代、山梨横井、都留郡岩殿からなる甲斐国熊野四所の霊場の一つで、巨摩郡小河原の当社が最初に鎮座したという。ただし、笛吹市八代町の熊野神社の勧請は当社よりも早い。

御祭神は、伊弉册尊。速玉男神・事解男神を配祀する。例祭は10月17日で、秋季例大祭。

当地は、式内社「笠屋神社」の跡地だとされる。『延喜式』神名帳の頃までは「笠屋神社」と呼ばれ、以降熊野社となったものか。

『甲斐国社記・寺記』によれば、笠屋天神は大己貴命事代主命少彦名命を祀るとあり、江戸時代初期の元和年間(1615年-1624年)の大水によって社殿が傾廃。

そこで御神体を当社に安置したという。現在も当社境内には笠屋天神社があり、これが式内の名残だともいうが、御祭神は菅原道真ともされ、詳細は不明。

ともかく勧請後、当社は平安時代末期だろうか、武田信義(1128年-1186年)が造替を行ったという。

また、鎌倉時代末期の正慶年間(1332年-1333年)には、高畠太郎次郎時盛が修造した。戦国時代の明応年間(1492年-1501年)、地頭武田八郎信恵を奉行として再建された。

慶長8年(1603年)、黒印神領として2石3斗8升が寄進された。現存の社殿は、江戸時代前期の延宝4年(1678年)、再建されたもの。

数度の再建の記録は、先の笠屋天神の際でも触れたように、当地付近がたびたび水害に見舞われたためだという。

後白河法皇(譲位:1158年、崩御:1192年)が奉納した幣串、武田家が奉納した金幣、徳川家康側室の下山殿の父である秋山虎泰が奉納した武具・馬具などがあったという。

なお、式内社「笠屋神社」の論社は非常に多く、他に、甲斐市南アルプス市甲府市の式内同名神社、北杜市甲州市の諏訪神社、北杜市の五社神社がある。

【ご利益】
夫婦和合、家内安全、子宝・安産
熊野神社 山梨県甲府市国母
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