平安中期、あるいは鎌倉末期の創建、クロマツ、1月にどんど焼き
[住所]東京都杉並区成田西3-9-5
[電話]03-3317-3306

尾崎熊野神社(おざきくまのじんじゃ)は、東京都杉並区成田西にある神社。近代社格では無格社。御朱印の有無は不明。

創建年代は、大宮八幡宮、同村の白山神社とほぼ同年代と言われている。であれば、平安時代中期のことになる。

藤本家文書、宝昌寺境内出土の板碑によると、鎌倉時代末期に鎌倉から移住してきた武士が、代々崇敬する紀州の熊野権現をこの地へ勧請したのに基くという。

御祭神は、五十猛命・大屋津比咩・抓津比咩命の3柱。熊野権現というより、同じ紀州でも、紀伊国一宮伊太祁曽神社を彷彿させる顔ぶれ。

同じような例は、区内の堀ノ内熊野神社でもみられる。ともかく、当社は旧成宗村の鎮守となった。

地名の「尾崎」は、尾崎=小さな崎の意で、崎とは舌状にのびた台地突端部をあらわし、善福寺川が大きくくびれている、このあたりの地形に由来したものと考えられている。

『新編武蔵風土記稿』成宗村熊野社の条には、「除地、五畝、小名尾崎にあり、社は二間に二間半、神軀白幣」とあり、宝昌寺が別当寺を務めていた。

明治維新後、大宮八幡宮の神職が兼務するところとなり、明治41年(1908年)、付近に散在していた稲荷社・猿田彦社・御嶽社を境内に遷座し、境内末社とした。

社殿は江戸時代中期の天和3年(1754年)、江戸時代後期の文化8年(1811年)、大正15年(1926年)と改築された。

現在の本殿は昭和44年(1969年)に新築され、向拝は昭和53年(1978年)に加えられた。なお尾崎熊野会は社殿新築を記念して結成され、その際、当社の沿革碑を建てた。

昭和43年(1968年)秋、境内から縄文時代早期(井草式)の土器片、縄文時代前期(諸磯式)・土師器時代(鬼高式)の住居址が発掘された。

境内にそびえるクロマツの大木は、当社の御神木で、樹齢約400年と言われ、区内でも有数の樹木の一つ。

例祭は8月末。前日の宵宮から境内には模擬店などが出て賑わう。東京音頭・杉並音頭などを踊る民踊大会もある。

1月初旬の成人の日には、どんど焼きと餅つき大会があり、つきたての餅が振る舞われる。この餅つき大会は40年以上続く行事で、毎年行列ができる。

境内末社の尾﨑稲荷神社の上には藤棚が設けられ、毎年5月ごろに優美な花を楽しめる。

【ご利益】
いのち・厄難除けの神、地域安全
尾崎熊野神社 東京都杉並区成田西
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