式内社「弥賀多多神社」の弥山の地に平安中期に創建、各種石造物
堅田神社 兵庫県神戸市西区平野町堅田491
[住所]兵庫県神戸市西区平野町堅田491
[電話]078-991-1034 - 諏訪神社

堅田神社(かただじんじゃ )は、兵庫県神戸市西区平野町堅田にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 明石郡「弥賀多多神社/弥賀多々神社」に比定される式内社(小社)の論社。

前身となる式内社「弥賀多多神社」は、平安時代初期の弘仁6年(815年)、勅願寺梵天山宝珠寺の鎮守社として創建されたという。

現在の当社は、その地にか、平安時代中期の天元2年(979年)正月15日に創建されたと伝えられる。

この地は、播磨国の、堅田の庄、鴨谷村弥賀多多の里で、弥山と呼ばれた。現在も美賀多台、美賀多台小学校などの名称で残る。

式内社「弥賀多多神社」と当社がどうつながるのかは不明。式内社が発展・解消して、現在の当社になったのだろうか。

現在は当社境内に、稲荷社とともに弥賀多多神社がある。

一説に、当社は神戸市垂水区櫨谷町の旧郷社である諏訪神社を勧請したとも。しかし、現在の御祭神は諏訪神の面影を見ることはできない。

御祭神は、主祭神が大己貴命猿田彦命倉稲魂命・皇太神・素盞嗚尊を配祀する。

もともと堅田・黒田・繁田の氏神だったが、道路事情が悪かったため、黒田繁田がそれぞれ分祀。

繁田は鎌倉時代後期の正応5年(1292年)、黒田は南北朝時代末期の明徳2年(1391年)に遷座し、今はそれぞれに同名の神社がある。

当社の神前手洗石に「天文6年(1537年)酉正月吉日」とある。

また、数基の石灯籠に「宝暦七丑年(1757年)8月吉日」「寛政元酉年(1798年)8月吉日」「嘉永二己酉年(1849年)」「嘉永七寅年(1854年)8月吉日」。

さらに、鳥居には「享和2年(1802年)戌8月吉日」の銘が刻まれている。また、愛嬌ある顔立ちの狛犬が安置されている。

先の宝珠寺が旧別当寺。その大師堂に奉祀する金幣の幣串に「大梵天王」の金字が記されている。

この金幣は、明治初年に当社から奉遷したもので、この時村人数十人に夢のお告げがあり、当社に帰りたくないということだったという。恐らくはもとの当社の御神体だったと考えられている。

本殿は、桧皮葺き入母屋造で、幣殿は萓葺き切妻造で、拝殿は瓦葺き入母屋造である。現在は、境内を中心に、市民公園として親しまれている。

近年、西神ニュータウンの発展と、神戸高塚高校から徒歩3分と隣接している位置関係から、その地区からの参拝者も増えているという。

例祭は、もとは旧暦10月18日だったが、明治以降は新暦の10月18日となり、現在は、自治会の申し合わせで、10月体育の日の前日となっている。

神事に青年団が奉仕する「獅子舞」があったが、今はない。現在は、「子ども相撲」を奉納している。

なお、式内社「弥賀多多神社」の論社は他に、当社から分祀の繁田と黒田の同名神社の他、明石市の材木町の岩屋神社、岬町の伊弉冊神社がある。

ただし、繁田と黒田の同名神社は、当社同様、式内後継社かもしれないが、当社から鎌倉時代、南北朝時代に分祀したものであり、あえて式内論社とする必要はない気もするが。

当社を含む平野町の三社の堅田神社は現在、いずれも櫨谷の諏訪神社の兼務神社である。

【ご利益】
縁結び、交通安全、五穀豊穣、厄災除け
堅田神社 兵庫県神戸市西区平野町堅田
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