渡来した阿智使主と後裔の居住地、宣化帝の宮跡、桧隈寺跡
[住所]奈良県高市郡明日香村檜前594
[電話]0744-54-2071 - 飛鳥坐神社

於美阿志神社(おみあしじんじゃ)は、奈良県高市郡明日香村檜前にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「於美阿志神社(大和国・高市郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

桧隈は、百済から渡来した阿智使主(あちのおみ)が居住したと伝えられ、当社はその阿智使主とその妻の2柱を御祭神とする。

阿智使主は、『古事記』にも、阿知吉師として登場し、第15代応神天皇の御代に渡来してきた様子が描かれている。

『日本書紀』には応神天皇20年に阿智使主が子である都加使主らと渡来してきたとある。東漢の祖である。

この子孫の中から第21代雄略天皇の時代に活躍する身狭村主青や檜隈民使博徳が出る。二人は呉の国に派遣され、織機技術を持った者たちを連れてきた。

身狭村主青は少し北側の牟佐座神社あたりを中心に居住し集団の長であり、檜隈民使博徳は檜隈を中心に居住した集団の長でだったのだろう。

当地は第28代宣化天皇が即位した檜隈廬入野宮だったところで、境内には、宮跡を示す石碑がある。

この阿知吉師の後裔一族が当地に桧隈寺を営み、当社はその鎮守として創建されたと考えられている。「あちのおみ」が「おみあち」となり、「おみあし」という社号になったという。

桧隈寺跡は当社境内にあり、塔・ 講堂と推定される建物跡を残す。『日本書紀』天武天皇朱鳥元年(686年)の条に桧隈寺の寺名が見える。

寺跡からは、7世紀末の瓦が出土し、現在塔跡にある十三重石塔は、上部の一部を欠いているものの、重要文化財に指定されている。

江戸時代には、御霊神社と呼ばれたという。本殿は、もとは現在の社務所の西側にあったが、明治40年(1907年)、桧隈寺金堂跡に遷座した。

境内社に、八坂神社・春日大明神・富士大権現・金毘羅大権現・鎮守大権現・稲荷大明神・蔵王大権現などがある。

【ご利益】
一族・子孫繁栄、事業成功
於美阿志神社 奈良県高市郡明日香村檜前
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