物部姓の保津氏が居住した保津環濠集落に鎮座、旧地名は板敷
鏡作伊多神社 奈良県磯城郡田原本町保津150
[住所]奈良県磯城郡田原本町保津150
[電話]0744-33-2155 - 多神社

鏡作伊多神社(かがみつくりいたじんじゃ)は、奈良県磯城郡田原本町保津にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』大和国城下郡にある「鏡作伊多神社」(小社)、「富都神社」(小社、鍬靫)に比定される式内社の論社。近代社格では村社。

物部姓の保津氏が居住したという保津環濠集落の中に鎮座する。典型的な城塁で、北側は街道に面し、道端の堀と二重堀になっている。

伊多は、板で銅板・鉄板の意であり、鏡の制作の際に必要となる金属を加工した地、ということになる。

一説に、鏡を板のごとく鍛え上げた作業を行った地とも。やはり式内社である鏡作麻気神社は、それを磨き上げた地だとされる。

当社の創建年代は不詳。御祭神は石許利止売命とされる。本殿は二座あり、もう一座は、その父である天糠戸命とも。

境内社に宇間志麻遅神社があるという。石見の鏡作神社を連想させる。関連して、八尾には鏡作坐天照御魂神社がある。

当社の北150メートルほどの宮古に、同名の神社があり、式内社「鏡作伊多神社」の論社。両者の間には池があり、鏡作りに活用されたとの指摘もある。

近世以前、現在地の東約300メートルほどの小字伊多敷(いたしき、板敷)の地に鎮座し、保津集落の移転にともなって、現在地に遷座したという。

保津の地名から、幕末から明治時代初期にかけての儒者である西谷綱奄が当社を「富都神社」に比定した。他の論社に、富本に式内同名神社がある。

また、伊勢国多気郡、現在の三重県松阪市には保津町があり、鏡作部の遠祖とされる天香山神が祀られたとも考えられる天香山神社がある。

例祭は10月13日。南本殿は江戸時代後期の文化年間(1804年-1818年)の建築とされる隅木入春日造の珍しい手法の春日造である。

境内には、文化2年(1805年)銘の石燈籠と、天保6年(1835年)銘の狛犬がある。また、中央に目通り約3.5メートルの老杉がある。

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鏡作伊多神社 奈良県磯城郡田原本町保津
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