明治期に社名と主神の変更を攻められた式内論社「御坂大明神」
[住所]山口県山口市徳地船路2617
[電話]0835-58-0331

船路八幡宮(ふなじはちまんぐう)は、山口県山口市徳地船路にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 周防国 佐波郡「御坂神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社

創建年代は不詳。この船路の地の彌坂山に出現した神を祀ったことが始まりだという。彌坂山は不詳だが、一説に現社殿背後よりさらに奥の山とも。

一方で、社伝によれば、第12代景行天皇が周防娑磨に行幸した際、三綱柏に御饌を包み、川蜷(カワニナ)を供して祭祀したのに始まるとも。

当社の神紋は三綱柏、現在は9月最終日曜日に行われる例祭には、カワニナが献供されるという。主祭神は道返大神

もとは現在地の西方の谷、陽悦山麓上野の地に鎮座していたが、平安時代の永保3年(1083年)に焼失した。

そこで、川向いの下庄上野原に再建。久寿2年(1155年)、御桶代の寄進があった。

鎌倉時代の寛元2年(1244年)、社司上野家の祖先にあたる藤原貞光が八幡神(応神天皇)を勧請した。

戦国時代の応仁元年(1467年)、洪水により、現在地に遷座、社殿が造営された。その後、文明14年(1482年)にも造営の記録が残る。

これらの続き、元亀2年(1571年)、万治4年(1661年)2月、天和元年(1681年)12月にも社殿の造営があった。

江戸時代には「御坂大明神」と称し、古くから市内徳地に鎮座する三坂神社と式内論争が行われたという。

明治になり、明治4年(1871年)、県の決定で三坂神社が式内社に認定された。当社は改称を命じられ、八幡宮と称し、主神も変更された。

なお、現在は羽明玉神(玉祖神)も併せて祀るが、その勧請の由緒は不詳。

改称と主神の変更命令とはあまりにも乱暴ではあるが、それでもなお、三坂神社とともに、県社に昇格している。

このことからも、当社の由緒が、横暴な時の政権にも認知されている、せざるをえないほどのものだったことが分かる。

現在では、道反大神を主神格に戻しているが、社号は不変。境内社に熊野神社などがある。

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船路八幡宮 山口県山口市徳地船路
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