奈良期に佐渡流刑の万葉歌人が創祀、住吉大明神、4月に鬼太鼓
[住所]新潟県佐渡市小倉618
[電話]-

物部神社(もののべじんじゃ)は、新潟県佐渡市小倉にある神社。小倉物部神社とも。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 北陸道神 佐渡国 雑太郡「物部神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

創祀は奈良時代の天平年間(729年-749年)。それに先立つ養老6年(722年)、元正天皇への皇室批判で佐渡へ流刑にされた物部氏の後裔で、万葉歌人でもある穂積朝臣老が、祖神を祀ったという。

ちなみに、これが佐渡流刑の初めてのケースとなる。境内には穂積朝臣老邸跡と『万葉集』収録歌の石碑がある。
巻13 3241
天地を嘆き 乞ひ祈のみ 幸くあらば また反り見む 志賀の唐崎
御祭神は饒速日命の御子である宇麻志麻治命

『続日本紀』延暦10年(791年)9月に従五位下に叙された。これは、記録に残るものとしては、県下で最も古い神階昇叙となる。由緒として、県下で彌彦神社と並び称される場合がある。

社伝によれば、清和上皇の御幸の際に、当社も訪れた、とある。譲位が貞観18年(876年)、崩御が元慶4年(880年)。

ただし、譲位後、畿内巡幸を行ったとされるが、当地にまで足を延ばした形跡はない。

中世以降、住吉大明神と呼ばれるようになった。日蓮上人による木札があるとも。

今でも「住吉さん」という別称がある。これは当地が往古、国府川の上流にあり、船材の主産地であったことに由来し、航海安全の守護神であったことによる。

江戸時代前期の天和年間(1681年-1684年)、小倉事件で佐渡流刑となった小倉大納言実起が当社を深く崇敬したという。

現在の地名である小倉も、小倉実起にちなむと考えられている。昭和32年(1957年)、小倉地区の神社統合のため、八幡神社と二つの白山神社が合祀された。

応神天皇神功皇后菊理媛命伊弉冊尊を合祀する。また、この際には佐渡代官藤沼源左衛門時房を祀る藤源神社も遷座し、現在は当社の境内社になっている。

藤沼時房は、江戸時代中期の宝暦3年(1753年)8月に来島、就任当時の全島不作に続き、宝暦5年-6年には当地と猿八村が凶作。

餓死者が続出、「小倉村三百軒中、餓死三百余人死絶百二軒」とあり、全村の3分の1が絶えるという壮絶な状態だったという。

時房は、佐渡奉行石谷備後守清昌に願い出て、幕府に請い租税減免の措置をとり、貧民の救済に専念した。

また、飢渇人の田地植付人足を全島の村々より集め、耕作地の維持に努め、宝暦9年(1759年)に職を辞すまで、救援を続行した。

江戸時代後期の嘉永5年(1852年)6月16日になり、全村の崇敬の象徴として旧八幡社の境内に藤源神社が創設された。

藤源神社は大正11年(1922年)11月、真野宮の本殿を譲り受け、移転改築した。この真野宮旧本殿は、大正5年(1916年)に皇太子時代の昭和天皇が参拝したもの。

当社の例祭は4月14日。佐渡に古くから伝わる悪魔を払いと豊年を祈る神事「鬼太鼓」が奉納される。

【ご利益】
一族・子孫繁栄、厄災除け、五穀豊穣
物部神社 新潟県佐渡市小倉
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