御祭神大股主命は大俣王? 大幡主命? 4月に流鏑馬祭礼行事命
大幡神社 新潟県佐渡市大倉小平12
[住所]新潟県佐渡市大倉小平12
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大幡神社(おおはたじんじゃ)は、新潟県佐渡市大倉小平にある神社。「島民が選んだ、島の宝」の一つ。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 北陸道神 佐渡国 賀茂郡「大幡神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社

平安時代前期の貞觀3年(861年)、あるいは延喜元年 (901年)の創建とも。

『日本三代実録』元慶7年(883年)2月2日の条に、大幡神に従五位下とあることから、延喜の創建は、再建か社殿の整備か。

御祭神は大股主命、またの名を大俣王。ただし、式内社名通り大幡神であり、大幡主命との説もある。

大幡主命の場合、その別名は大若子命。しかし、大幡神、すなわち大幡主命ではない、という反論も存在する。

大俣王は、第9代開化天皇の第三皇子である彦坐命の長子。狭穂彦命が異母弟にあたり、第11代垂仁天皇の時代、親族としてその乱の責任を取り、当地に渡ったという。

狭穂彦命の乱については、『古事記』にも描かれている

大若子命は、天御中主尊の後裔である彦久良伊命の御子で、やはり垂仁天皇の時代、北狄を平らげる功により大幡主命と呼ばれるようになった。

大幡主命は『倭姫命世記』の後半の準主役級の登場人物でもある。

これらの要素が考えられる、当社御祭神であるところの大股主命が、当地で戦死したため、祀られたという。創祀は平安前期をはるかに上回ることになるか。

もとは50メートルほど低地に鎮座とも、あるいは、佐渡の中央部にある加茂湖周辺から遷座したとも伝わる。

どちらにしろ、佐渡国式内九社の第八として崇敬され、往時は佐渡北部24ヶ村の総鎭守だったという。

明治39年(1906年)、県社に列した。例祭は4月11日。かつては9月11日に行われていた。「大幡神社祭礼行事」として、市の文化財に指定されている。

例祭には流鏑馬神事が奉納される。射手は12歳の2人の少年で、神官とともに祭の7日前から宮にこもり、海で禊をする。

太鼓が祭の始まりをふれ、神事式に続いて前庭でシキ、棒振り、箱馬、獅子、豆蒔、薙刀が行われる。

それが終わると神輿のハマオリ(渡御)となり、薙刀が先頭になって露払いをして進む。

浜に設けられた御旅所へ着くと、太鼓と獅子の「ゴマイ」が奉納され、それから流鏑馬が行われる。

最初の射手を「カミノマト」、次の射手を「ツギノマト」と呼ぶ。「カミノマト」は国家安泰という公の祈願を、「ツギノマト」は各家の私的な祈願をする。

流鏑馬が始まる頃、必ず北風が吹いてくるといい、これは当社神がアイの風(北風)に乗って来るためと伝わっている。

【ご利益】
五穀豊穣・大漁満足、厄災除け、家内安全
大幡神社 新潟県佐渡市大倉小平
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