「鎌倉」起源の藤原鎌足伝説、関東五社稲荷の元宮、頼朝への流れ
[住所]神奈川県鎌倉市浄明寺3-8-31
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鎌足稲荷社(かまたりいなりしゃ)は、神奈川県鎌倉市浄明寺にある神社。鎌足稲荷神社とも。御朱印の有無は不明。

鎌倉という名の由来には諸説あるが、その一つが、大化元年(645年)、中大兄皇子(天智天皇)とともに蘇我入鹿を討ち、大化の改新を行った藤原氏の祖、藤原鎌足ゆかりの説。

藤原鎌足は乳児の時、稲荷大神から鎌を授けられ、常にお護りとして身につけていたという。

大化の改新を成し遂げた鎌足は、翌大化2年(646年)、東国に向かい相模国由比の里に逗留した。

その夜、神のお告げがあり「あなたに鎌を授けて守護してきたが、入鹿討伐という宿願を成し遂げた今、授けた鎌を我が地に奉納しなさい」と。

鎌足は、お告げに従ってこの地に鎌を埋納したという。この逸話から「鎌倉」という地名が起こったとされる。

なお、鎌足が鎌を埋めた地の伝説は2ヶ所あり、ここ浄明寺の鎮守である当社と、鶴岡八幡宮境内にある丸山稲荷社、大臣山・大神山とも。

奈良時代、関東八か国の総追捕使として鎌倉を支配した「由比の長者」染谷時忠は、鎌足の裔とされ、由比ケ浜に屋敷があり、甘縄神明神社を創建したという。

また、長谷寺を開基した藤原房前は鎌足の孫とされる。どちらにしろ、藤原鎌足及びその一族とゆかりが深い。

鎮守府将軍藤原秀郷(俵藤太)が天慶5年(942年)、相州鎌倉松ケ岡稲荷大明神を詣で、関八州管領の地に四社を勧請した、この松ケ岡稲荷大明神のことと思われる。

関東五社稲荷神社の社記によれば、鎌足創建の松ケ岡稲荷大明神、つまり当社の御祭神は伊弉諾尊素盞嗚尊大己貴尊だという。

ちなみに、秀郷が勧請した四社は、分祀も含め、現在までに、関東五社稲荷神社、一瓶塚稲荷神社烏森神社王子稲荷神社などとなっている。

平安時代中期には当地は平直方の地となり、その後源頼義の武勇に頼った平直方が娘を頼義に嫁がせ、頼義は相模守に任じられ、平直方から鎌倉の屋敷を譲られた。

以後、代々源氏ゆかりの地として頼朝の鎌倉入りを待つことになる。

平成20年(2008年)2月19日、藤原鎌足の伝承が残る「鎌足桜」が浄妙寺に寄贈された。

なお、埼玉県川越市池辺にも同名の神社がある。ただし、池辺の鎌足稲荷は箭弓稲荷神社を勧請したもので、特段、藤原鎌足や当社と関連する由緒は伝えられていない。

【ご利益】
武運長久・勝運、家内安全
鎌足稲荷社 神奈川県鎌倉市浄明寺
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