亀岡盆地の湖水開削で使用した船を造った神を祀る、鎌倉期の仏像
[住所]大阪府高槻市大字田能小字コブケ8
[電話]0771-22-1023 - 鍬山神社

樫船神社(かしふねじんじゃ)は、大阪府高槻市田能コブケにある神社。近代社格では村社。現在は田能地区の鎮守神。御朱印の有無は不明。

高槻市の最北端、北摂山地の山々に抱かれるようにしてある樫田盆地の最も奥まったところの、大阪府と京都府の府境に位置する明神ヶ岳に至る尾根の下の方、標高約360メートルの地に鎮座する。

4世紀ころまで全体が大きな湖であったとされる亀岡盆地の東部の山を切り拓き、湖水を京都盆地側へ流すことを提案した大国主命

土地の神であり、その工事に使用するための船を拵えた樫船明神(大山喰命)を、樫の船が建造されたとされる場所に祭祀するために創建された。

亀岡盆地が湖だったということに関する伝承は、下記の周辺各地に残る。

市内千歳町千歳の出雲大神宮、東別院町神原の徳神社、上矢田町の鍬山神社、大井町の大井神社、篠町山本の桑田神社、保津町立岩の請田神社、所在不明の餅籠神社など。

定勢という僧侶の指導を受けた丹波国桑田郡田能庄の住民が、鎌倉時代の貞応元年(1222年)、神社の社殿造営、神像・仏像の建立を企画した。

同年9月、社殿造営事業が完了し、さらに翌貞応2年(1223年)3月、神像と仏像、合わせて五体が完成した。

大明神男神像と女体御前神像の二つの神像と、黒迦羅御前という名の女神の本地仏である阿弥陀如来の仏像一体を当社へ、当社に納められた神像二体のそれぞれの本地仏である観音菩薩像と大日如来像の二体の仏像を神宮寺へ安置した。

田能川の東側にあるこの神宮寺は当社と同時期の開基で、これら神仏像の制作などに関する古記録があり、これらのうち、大日如来像は現在、市指定有形文化財になっている。

明治22年(1889年)、田能村は近隣の中畑村、出灰村、杉生村、二料村と合併して京都府南桑田郡樫田村になった。

この樫田という地名は、当社の「樫」という文字と田能村の「田」という文字を合わせて付けられた。

その後、昭和33年(1958年)、樫田村は越府合併が行われ、大阪府高槻市へ合流していく。その間も、地域では当社と神宮寺の祭礼が続けられた。

現在は、京都府亀岡市の鍬山神社の兼務神社である。鍬山神社には、樫船神社という境内社があり、当社と同じ神々が勧請され、祀られている。

【ご利益】
事業成功、五穀豊穣、地域安全
樫船神社 大阪府高槻市田能コブケ
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