河越夜戦で中山氏を救った天神、中山氏の崇敬と地名、中山氏の隆盛
[住所]埼玉県飯能市中山字吾妻台716
[電話]042-974-4468

加治神社(かじじんじゃ)は、埼玉県飯能市中山吾妻台にある神社。近代社格では村社。御朱印の有無は不明。

創建年月ははっきりしないが、明細帳によれば安土桃山時代の慶長元年(1596年)、武蔵七党の中山勘解由丹冶家範の老臣本橋貞潔が主君の遺命を奉じて勧請したという。

もとは聖神社と呼ばれ、天神・天満宮だったという。中山家範の父は中山家勝、子に中山信吉がおり、上杉氏の家来。

伝承によると、家勝は天文15年(1546年)、北条氏との河越夜戦に敗れ、中山に戻る時、入間川の洪水に阻まれた。

その時葦毛の馬を連れた老人に救われ、中山にたどり着いた。老人は「吾は吾妻天神なり」と言い残し、馬とともに、天神様の前で姿を消したという。

別当寺は陽雲寺だった。明治5年(1872年)8月、村社に列した。

明治40年(1907年)、境内社の八坂神社・稲荷神社、字上町の無格社丹生神社と、その境内社である稲荷神社・三峯神社、同じく無格社白山神社、字萩原の無格社水種稲荷神社を当地に鎮座していた無格社天神社へ合祀、現社号に改称した。

現在までに御祭神は、高御産巣日命神御産巣日命菅原道真。例祭は9月29日。33年ごとに天神様開帳がある。

現在の本殿は、智観寺の北にあった丹生神社が合祀された時に移築されたもの。参道には寛永19年(1642年)の石燈籠が六基並んでいる。

これらは、中山信吉の嗣子中山信正が丹生神社中興にあたり寄進したもので、本殿とともに移転された。

信正は丹生神社の祭礼にも力を注ぎ、中山村の隆盛に力を注いだという。

当社は、中山氏の足跡を残すと同時に、一時は中山町と称されていた中山村繁栄の一端を示しているという。

境内社に、番神社・八坂神社・三峯神社がある。

【ご利益】
五穀豊穣、一族・地域繁栄、学業・受験合格
加治神社 埼玉県飯能市中山吾妻台
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