源頼義・義家親子の本陣跡、鶴岡八幡宮領、式内・田中神社とも
八幡神社 埼玉県熊谷市三ヶ尻2924
[住所]埼玉県熊谷市三ヶ尻2924
[電話]048-532-3874

八幡神社(はちまんじんじゃ)は、埼玉県熊谷市三ヶ尻にある神社。もとの字新堀新田。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 播羅郡「田中神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

平安時代、源頼義・義家親子が天喜4年(1056年)の奥州征伐の際、この地に本陣を設け、鎌倉の鶴岡八幡宮の遥拝所を建てて戦勝を祈願したことに始まる。

主祭神は誉田別命。当社の社殿が東北を向いているのは、こうした創建の事情によったもので、隣接する16間の地内には義家の設けた陣屋の跡地もある。

また、社殿の左側には「八幡太郎義家公駒留めの杉」があり、義家がこの地の杉に愛馬をつなぎ、祈願したと伝わる。

また、当地は、鎌倉時代初期の寿永2年(1183年)には鶴岡八幡宮の社領となっており、寄進状が現存する。

『新編武蔵風土記稿』三ヶ尻村の項には、「八幡社 村の鎮守なり、神職の伝へに当社を、延喜式内田中天神なりといへり、されど証とすべきこともなし」とある。

創建の由来から考えれば、『延喜式』以後に創立された当社が式内社とはなりえない。

頼義・義家親子が本陣を設けたこの地が、もともと何らかの聖地、祭祀がなされた場所だったか。それが式内社「田中神社」だった、という可能性もなくはない。

現在の本殿は明和5年(1768年)、拝殿は天明2年(1782年)の建立で、渡辺崋山が天保3年(1833年)に記した『訪𤭖録』にも記載されている。

崋山も特筆している本殿の彫刻は実に壮麗なもので、三ヶ尻出身の名工・内田清八の作である。

明治5年(1872年)6月、村社に列し、明治41年(1908年)11月、字八幡鎮座の村社神明神社(大日霊貴命)と字中鎮座の村社天神社(菅原道真)を合祀した。

明治末年には、式内社「田中神社」の論社の一つである田中神社も合祀。その後間もなく、田中神社は復社している。

また、これを機に、村内の各地に散在していた無格社の多くが当社の境内に集められた。

大正12年(1923年)には東宮殿下御慶事記念として拝殿の改修と社務所の新設とが図られ、いずれも大正14年(1925年)に竣工している。

本殿内には幣束や神像とともに棟札数枚が保存されており、往時の祭祀状況や神職の名を知ることができる。

社務所にはこの他、寛永6年(1629年)奉納の5枚の鷹絵額、寛永3年(1626年)7月奉納の社号額、安永3年(1774年)奉納の古風な神鏡などが保存されている。

例祭は4月15日。境内社に、稲荷神社・琴平神社・浅間神社・八坂神社・三峯神社などがある。

スギ・ヒノキ・スダジイ・モミ・カシなどから構成される社叢は、県の「ふるさとの森」の指定を受けている。

なお、式内社「田中神社」の論社は、先の田中神社の他に、深谷市田中の知形神社がある。

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八幡神社 埼玉県熊谷市三ヶ尻
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