三島神は鎌倉期の勧請、室町期の鰐口が御神宝、鰻ときゅうりの禁忌
三嶋神社 埼玉県大里郡寄居町赤浜1973
[住所]埼玉県大里郡寄居町赤浜1973
[電話]048-584-2880

三嶋神社(みしまじんじゃ、三島神社)は、埼玉県大里郡寄居町赤浜にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 男衾郡「稲乃賣神社/稲乃売神社」に比定される式内社(小社)の論社。

荒川右岸に位置する塚田の地は、『新編武蔵風土記稿』に赤浜村の小名の一つとして載せられている。
古別に村落をなせしとぞ、鎌倉繁栄の頃は宿駅を置し地ならんと云、既に当所三嶋神社応永二年鰐口の銘に、武蔵国男衾郡塚田宿と彫たり、前に云鎌倉の古街道は、ここに残れり
また、塚田は鎌倉街道の宿駅として栄え、塚田千軒町の名で呼ばれていたとの口碑も残る。

当社の創祀年代は不詳。鎌倉期以前のことも不詳で、当社の創建を鎌倉時代、幕府から特別の崇敬と保護を受けた伊豆三嶋大社の神を信仰した当地の土豪が創建した、とも。

しかし、それならば『延喜式』以後の創建となり、式内社とはなりえない。御祭神は、大山祇命木花開耶姫命少彦名命

「当社の神は女神であり、安産にご利益がある」と伝えられる。女神・安産では、木花開耶姫命が合致する。また、式内社名からも女神が連想され、全くつながりがないわけではないか。

ただ、式内社名は安産よりは稲作の女神を想起させる。どちらにしろ、鎌倉時代前後に、三島神としての大山祇命が勧請され、それ以前は女神を奉斎する社だったのかもしれない。

『新編武蔵風土記稿』にある「応永二年鰐口」が御神宝として今に伝わる。応永2年は室町時代の1395年。県の文化財に指定されている。

この鰐口は、鋳銅製で直径19.9センチ、厚さ6.9センチ、、上部左右に耳(釣手)、中央両脇に目を配置し、下半部側面には唇状の張り出しがめぐる。

銘文から、この鰐口が3月27日に奉納されたこと、当時すでに塚田が「宿」と呼ばれる集落を形成していたことなどが分かる。

また、この3月27日が現在も当社の例祭日である。奉納された日は旧暦だろうが、新暦以降もこの日付に変更を加えることなく斎行されているという。

『新編武蔵風土記稿』には、「三島社 小名塚田にあり、民戸十八軒の鎮守にて、其氏子のものの持とす」とある。

口碑によれば、塚田の地は一度焼き払われたとも。その際、当社も衰微した可能性があるという。

当社には、鰻を食べてはいけないとの禁忌がある。古くはどこの田にも鰻が棲んでおり、氏子が農作業などの際にこれを捕まえると、当社境内の神池に放したという。

鰻の禁忌は、虚空蔵菩薩を祀る地域にみられるもので、三嶋大神の本地仏は大通智勝仏で、大通智勝仏は虚空蔵菩薩の威力を表す仏とされ、そのつながりが指摘される。

また、きゅうりを作らないという禁忌もある。しかし太平洋戦争中の食料不足からやむなく栽培することになり、禁忌の解除祈願が行われたという。

きゅうりをの禁忌は八坂神社の特徴。当社境内社にも八坂神社があり、現在も7月25日には八坂祭が行われている。八坂信仰も強かったのだろう。

境内社に、稲荷神社と、神明神社・琴平神社・八坂神社・天満天神社合殿がある。他の祭典として、2月の初午祭、10月17七日の秋祭りがある。

なお、式内社「稲乃賣神社」の論社は他に、寄居町鉢形の稲乃比売神社がある。

【ご利益】
安産、五穀豊穣、厄災除け
三嶋神社 埼玉県大里郡寄居町赤浜
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