平安前期からの神職家、壬生吉志氏の関与、中世には氷川信仰
稲乃比売神社 埼玉県大里郡寄居町鉢形2338
[住所]埼玉県大里郡寄居町鉢形2338
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稲乃比売神社(いなのひめじんじゃ)は、埼玉県大里郡寄居町鉢形にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 男衾郡「稲乃賣神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。当地一帯は、『和名類聚抄』に載る男衾郡八郷の「榎津郷(えなつごう)」に比定される地。

平安時代前期の天長元年(824年)6月28日、相馬清太輔宗満が祠官となったという。この家系が現在に至るまで神職を継承しているという。

『類聚三代格』貞和8年(841年)5月条に「男衾郡榎津郷戸主外従八位壬生吉志福正」とあり、やはり当社と壬生吉志氏の関係が指摘されている。

渡来系民族である壬生吉志氏に関しては、小被神社伊古乃速御玉比売神社にもその影響を見て取ることができる。

『日本三代実録』貞観6年(875年)12月に「稲娶神」(いなづめのかみ)とある。「稲乃売神」と同神とみられている。また、この神明が、地名の「榎津」と音が通じる。

戦国時代の元亀年間(1570年-1573年)、鉢形城の筑城に際して城内に遷座した。天正18年(1590年)、再び現在地に復興した。

中世以降と思われるが、氷川信仰の流布とともに一時は「氷川社」に変更され、江戸時代中期の宝暦7年(1757年)の社号額には「氷川大明神」とある。

御祭神は、稲田姫命素盞嗚尊大己貴命少彦名命。氷川信仰が顕著だが、社名から考えても、稲田姫命がもともとの御祭神なのかもしれない。

幕末の安政年間(1855年-1860年)、荒廃していた社殿の改修が行われたという。

明治維新に際して現社号に改称した。村社に列し、昭和3年(1928年)10月15日に神饌幣帛料供進社に指定された。

例祭は10月18日で、秋祭り。境内社に、三峰社・市杵島社・天神社・疱瘡社・稲荷社がある。

なお、式内社「稲乃賣神社」の論社は他に、寄居町赤浜の三嶋神社がある。

【ご利益】
五穀豊穣、夫婦和合、病気平癒
稲乃比売神社 埼玉県大里郡寄居町鉢形
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