幡羅郷に鎮座、上野国碓氷郡を勧請、歴代城主と今に続く崇敬
熊野大神社 埼玉県深谷市東方1709
[住所]埼玉県深谷市東方1709
[電話]048-571-7127

熊野大神社(くまのだいじんじゃ)は、埼玉県深谷市東方にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 播羅郡「白髪神社」に比定される式内社(小社)の論社。

幡羅郷に鎮座し、当地は古くから開かれた土地で、地内は家型埴輪が出土した森末古墳、奈良時代から平安時代にかけての堂明様遺跡などが知られている。

当社の創建について、社記によれば、平安時代の延長5年(927年)、この地に枇杷の木を棟木にして小祠を建て、上野国碓氷郡熊野本宮より奉遷し、東方村と号したという。

遺跡から見れば、創祀はさらにさかのぼるのかもしれず、古くより小さな社があり、東方という地名もこの社から生まれた、とも。

しかし、神社の公式見解として、『延喜式』後の創建であり、式内比定されている根拠は不明。御祭神は伊邪那美命・速玉男命・事解男命。

戦国時代の天文年間(1532年-1555年)、深谷上杉三宿老、皿沼城主岡谷加賀守清英がこの地方を領し、当社を深く崇拝し、社領を寄進した。

今でも熊野免という年貢を免除した土地があるという。

同じく三宿老の一人、上野台領主秋元但馬守景朝と、その子越中守長朝は、当社が上野台の館の東北に位置したため、城の守りとして崇敬した。

天正年間(1573年-1592年)に社殿を造営した。江戸時代後期の文政2年(1819年)と平成11年(1999年)の大修理を経て今日に至る。

現在の本殿正面の桁にも秋元家の家紋が彫刻されている。市の文化財に指定されている。

天正18年(1590年)、徳川家康が江戸に入城後、松平丹波守康長が東方城主となり、やはり崇敬された。

隣接して、真言宗智山派の弥勒院という寺院がある。往時、当社の別当寺だった。

例祭は10月15日で、秋の例大祭。4月15日には春の大祭がある。幡羅小学校児童による浦安の舞いの奉納・入木節の奉納などがある。

大晦日に「おたきあげ」の火を囲んで甘酒が振る舞われ、元旦には社務所で初釜が催される。

中山道から一の鳥居をくぐって約300メートルの参道に入ると、両側に奉納された39基の石灯籠が続く。

二の鳥居を過ぎ、452本の玉垣に囲まれた境内地に進むと、右側に樹齢350年の御神木の大欅がそびえている。

三の鳥居をくぐり、本殿西側を進むと、氏子が献木した450本のヅツジ林がある。さらに進むと、北に上毛三山を一望できる大パノラマが開ける。

境内社に、神明神社・八幡神社・諏訪神社・雷電神社・浅間神社・手長男神社・八坂神社・猿田彦神社・鬼林稲荷神社・伊奈利神社・阿夫利神社がある。

なお、先述の通り、当社の根拠は不明ながら、式内社「白髪神社」の論社は他に、熊谷市妻沼大我井の大我井神社、熊谷市妻沼女体の白髪神社、市内東別府の東別府神社がある。

【ご利益】
厄災除け、家内安全、夫婦和合
熊野大神社 埼玉県深谷市東方
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