本太・元府趾氷川神社、江戸前期の旧本殿や室町期の宮殿、高鼻氏
[住所]埼玉県さいたま市浦和区本太4-3-33
[電話]048-885-7412

氷川神社(ひかわじんじゃ)は、埼玉県さいたま市浦和区本太にある神社。近代社格では村社。本太氷川神社、元府趾氷川神社とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

当地の地形は、おおむね平坦であるが、東西に狭く、南北に長い小さな谷をなしている。

地名の由来は、当社の鳥居扁額に「元府址(もとふと)」と書かれていることから、国府の出先機関があったからという説。

また、「ふと」は低地や耕作・居住に適する地上いう意味がある太めという説がある。

当社は本太の古くからの集落のほぼ中央に鎮座し、その境内には武蔵野では珍しい落葉樹「ソロ」の木が茂っている。

勧請の年代は不詳。元府趾に創建されたことから、律令制の政庁があった奈良時代以降と推測されるという。主祭神は、須佐之男命

当社には、江戸時代前期の慶安3年(1650年)に建立された県指定文化財の旧本殿と、同じく県指定文化財の宮殿2基が安置されている。

この宮殿は、室町時代の文安5年(1448年)銘があり、その前に木鉾が立てかけられている。

その銘文によると、宝徳3年(1451年)9月24日、当地の地頭高埇左衛門盛影が氷川大明神の大檀那として、神輿と鳥居を造立寄進した、という。

また、「取持奉行は、めうおん寺の二位僧都賢永、大工はにいくらの二郎三郎、かぬミつ、同左衛門二郎」とある。

大檀那の高埇左衛門盛影とは、高鼻郷(高埇郷)を本領する武士とされる高鼻和太郎の後裔と考えられる。

同郷は現浦和市から大官市にかけての地域に比定される。

『吾妻鏡』文治5年(1189年)7月19日の条に、奥州平泉の藤原氏攻めに向かう源頼朝の軍勢の中にこの高鼻和太郎の名が見える。

浦和区上木崎の足立神社も高鼻氏に関連しているとされる。

例祭は7月中旬。7月18日には神賑行事の一つとして例大祭の宵宮祭で、神燈まつりがある。

境内に篝火が焚かれ、本殿に燈された御神火を、作製し持ち寄った燈篭に頂き、燈された火を自宅に持ち帰る。

その次の日曜日には、神輿渡御がある。境内社に、恵比須大黒・八雲社・上向福徳神などがある。

【ご利益】
厄災除け、病魔退散、交通安全
氷川神社 埼玉県さいたま市浦和区本太
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氷川神社 埼玉県さいたま市浦和区本太の御朱印