安閑朝の笠原直使主や、鎌倉期の笠原氏、式内・足立神社の論社
久伊豆社 埼玉県鴻巣市笠原1755
[住所]埼玉県鴻巣市笠原1755
[電話]048-542-6445

久伊豆社(ひさいずしゃ、久伊豆神社)は、埼玉県鴻巣市笠原にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 足立郡「足立神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

創建年代は不詳。御祭神は、大己貴命。『日本書紀』第27代安閑天皇元年閏12月条に、笠原直使主と同族の小杵が、武蔵国造の地位をめぐって争ったという記事がある。

笠原使主は『和名抄』記載の埼玉郡笠原郷を本拠とした豪族と推定される。当地は、この笠原郷の遺称地とされ、古くから開発されてきた。

また、『吾妻鏡』建久6年(1196年)3月10日条には、源頼朝の奈良東大寺供養に従った隋兵のうちに笠原六郎の名が見える。

さらに正治2年(1200年)11月26日条には、源頼家の鎌倉鶴岡八幡宮参詣に従った供奉人として笠原十郎左衛門尉親景の名が見える。

この両名は、笠原を名字の地とする武士と思われ、平安時代末期以降、南・北埼玉郡に勢力を振るった武士団である野与党に属すると推測されている。

埼玉県に点在する久伊豆社は一般に、野与党や私市党の共通の祖神とされており、当社もそのような中で奉斎された一つと考えられている。

『新編武蔵風土記稿』笠原村の項に「久伊豆社村の鎮守なり、東光寺持、社人高橋右門は、江戸浅草田原町神事舞太夫田村八太夫配下なり」とある。

東隣の真言宗東光寺は慶安2年(1649年)に阿弥陀堂領として朱印地11石余を与えられたという。

明治6年(1873年)、村社に列し、明治42年(1909年)には大字笠原字弐貫野の菅原神社と伊奈利社、字水井戸の熊野社、字前新田の浅間社の無格社四社を合祀した。

現在までに、菅原道真・家都御子神・木花開哉姫命倉稲魂命熊野夫須美命・速玉之男命を併せて祀る。例祭は10月14日。

境内には手水鉢が二つ並ぶ。一つは元文3年(1738年)、もう一つは宝暦13年(1763年)の奉納で、梅鉢紋があるため合祀された菅原神社のものか。

境内社に、菅原神社・八幡宮・稲荷大神・辨天宮などがある。

式内社「足立神社」の論社は他に、さいたま市西区飯田浦和区上木崎の式内同名神社、北区宮原町の加茂神社がある。

【ご利益】
家内安全、病気平癒、縁結び
久伊豆社 埼玉県鴻巣市笠原
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