当地に入植した機織集団、その後に丹生神、式内社かつ三社の論社
長幡部神社 埼玉県児玉郡上里町長浜1370
[住所]埼玉県児玉郡上里町長浜1370
[電話]0495-77-3032

長幡部神社(ながはたべじんじゃ)は、埼玉県児玉郡上里町長浜にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 賀美郡「長幡部神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。

創祀年代は不詳。紡織集団である長幡部が当地に入植し、紡績を広めると同時に、祖神を祀ったものとみられる。

付近には若宮台遺跡がある。一般の遺跡に比べて多くの紡錘車が出土しており、中には「天安二年(858)十二月二十八日工戌□」などの文字が刻まれている。

主祭神は、機織の神である天羽槌雄命。しかし、主神には諸説あり、姫大神・大根王・綺日女命・多弖命などとも伝えられる。

大根王は、『古事記』において、豪族として登場するが、関連ある人物として神大根王もいる。

神大根王は、第9代開化天皇の皇子である日子坐王の子で、長幡部連などの祖とされている。

綺日女命・多弖命は、当社とも関連すると考えられる、茨城県常陸太田市にあり、常陸国久慈郡の式内社である当社と同名の神社でも祀られている。

もとは神流川沿岸の西的場という地に鎮座したという。藤武橋の東詰下流の、水天宮と刻まれた石碑が旧地との説もある。

平安時代の天永元年(1110年)、洪水で社地が流失したため現在地に遷座したと伝わる。

現在、埴山姫命が配祀されている。これは、古代の長幡部氏が衰亡した後に祀られたと考えられている。いわゆる丹生神。現在も「丹生様」と呼ばれる。

この丹生神を祀る社は、神流川流域に数社分布しており、いずれも往古、顔料とする朱や水銀を取る辰砂を産出する地であったとされる。

また『新編相模国風土記稿』には、当社の別当は千寿院で、「長幡五所宮」とある。この五所宮は、丹生神を五行思想で表明した土神・水神・火神・金神・木神とされる。

天正年間(1573年-1592年)、滝川一益の兵災により焼失、社殿や資料をすべて失ったという。天正10年(1582年)6月の神流川の戦いのことだろう。

その後再建されたようで、明治になり村社に列し、大正4年(1915年)3月12日、神饌幣帛料供進社に指定された。

かつて年間祭事は、2月初午、3月19日の春祭り、10月19日の秋祭り、11月の収穫後の新嘗祭と年4回あったが、現在では春祭りと秋祭りの年2回。

式内社「今城青八坂稲実神社」「今城青坂稲実池上神社」「今城青坂稲実荒御魂神社」のすべての論社ともされる。

また、「今城青坂稲実荒御魂神社」については、明治期に合祀した稲荷神社がそうだったとも、神明社(皇大神社)がそうだったとも、他の説もある。

この式内三社の論社は複数あり、神川町八日市の熊野神社、上里町五明の天神社七本木神社に合祀の榛名宮神社、阿保神社、堤の熊野神社上里町神川町に今城青坂稲実池上神社がある。

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長幡部神社 埼玉県児玉郡上里町長浜
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