大和の讃岐、『古事記』にもあるかぐや姫、『竹取物語』ゆかりの社
[住所]奈良県北葛城郡広陵町三吉328
[電話]0745-56-2249 - 小北稲荷神社
讃岐神社(さぬきじんじゃ)は、奈良県北葛城郡広陵町三吉にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「讃岐神社(大和国・広瀬郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
『古事記』に、第9代開化天皇の孫として、讃岐垂根王が記載されている。
その兄が大筒木垂根王で、大筒木垂根王の娘が迦具夜比売命。つまり讃岐垂根王の姪が迦具夜比売命となる。
迦具夜比売命は、いわゆる「かぐや姫」であり、第11代垂仁天皇の妃となり、袁邪弁王をもうける。
この讃岐垂根王の一連の系譜が、当社と関係するという。
創建年代は不詳。現在の地名の「三吉」は、往古には「散吉」と呼ばれ、これは「讃岐」と同音同意。
飛鳥時代後期の持統・文武朝(690年-707年)に竹細工を献上するため、現在の香川県である讃岐国の氏族斎部氏が、当地に移り住んで形成されたという。
讃岐国苅田郡の式内社に、於神社・粟井神社が現在の観音寺市粟井町にある。大和国広瀬郡には、やはり於神社と、当社があり、関連が指摘されている。
また、後世、当社とも関係が深くなる、当地一帯の随一の大社である廣瀬大社や、当社近隣にある巣山古墳と馬見古墳群から考えて、物部系、讃岐物部との兼ね合いも考えられる。
『日本三代実録』元慶7年(883年)12月2日条には「散吉大建命・散吉伊能城神に神階従五位下を授ける」という記述があり、当社神だとされる。
以上を経て、『竹取物語』に登場する「竹取の翁」が名を「讃岐造(さぬきのみやつこ)」ということから、『竹取物語』の舞台が大和国広瀬郡散吉郷のことであるとされる。
当社が「竹取物語ゆかりの神社」となっている所以である。現在は、近隣に竹取公園が整備されている。
また、町の多目的研修施設である「はしお元気村」には、特大のかぐや姫像が設置されている。
中世には、広瀬川合、つまり廣瀬大社の若宇加乃売命を勧請し、江戸時代までは「広瀬大明神」「南川合明神」と称した。
現在までに御祭神は大国魂命・若宇加能売命・大物主命とされる。大物忌命(鳥海山大物忌神社の主祭神)・倉稲魂命・猿田彦命・大国魂命とも。
ただ、『日本三代実録』では二座の神名があり、『延喜式神名帳』には神名はなく無印なので一座のはずで、不明な点が多い。
『広瀬川合神社略本縁』では、御井神(木俣神)、大嵩神(大己貴命)、井精神(粟井水神)の3柱を挙げているという。
垂仁天皇の皇子である五十香足彦命とする説もあるが、上越にゆかりのある人であって、讃岐とは関係ない。
また、御祭神は讃岐公の祖、ともされるので、それであれば第12代景行天皇の皇子である神櫛王か、日本武尊の子に建貝児王がいる。
江戸時代初期の慶長19年(1611年)正月に火災があり、現在の本殿はその時に再建されたものである。
例祭は10月15日。中秋の名月の頃には、「広陵かぐや姫まつり」が開催され、お御輿の練り歩きがある。
【ご利益】
産業振興、事業成功
【関連記事】
・奈良県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、奈良県に鎮座している神社の一覧
[電話]0745-56-2249 - 小北稲荷神社
讃岐神社(さぬきじんじゃ)は、奈良県北葛城郡広陵町三吉にある神社。御朱印の有無は不明。
『延喜式神名帳』にある「讃岐神社(大和国・広瀬郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では村社。
『古事記』に、第9代開化天皇の孫として、讃岐垂根王が記載されている。
その兄が大筒木垂根王で、大筒木垂根王の娘が迦具夜比売命。つまり讃岐垂根王の姪が迦具夜比売命となる。
迦具夜比売命は、いわゆる「かぐや姫」であり、第11代垂仁天皇の妃となり、袁邪弁王をもうける。
この讃岐垂根王の一連の系譜が、当社と関係するという。
創建年代は不詳。現在の地名の「三吉」は、往古には「散吉」と呼ばれ、これは「讃岐」と同音同意。
飛鳥時代後期の持統・文武朝(690年-707年)に竹細工を献上するため、現在の香川県である讃岐国の氏族斎部氏が、当地に移り住んで形成されたという。
讃岐国苅田郡の式内社に、於神社・粟井神社が現在の観音寺市粟井町にある。大和国広瀬郡には、やはり於神社と、当社があり、関連が指摘されている。
また、後世、当社とも関係が深くなる、当地一帯の随一の大社である廣瀬大社や、当社近隣にある巣山古墳と馬見古墳群から考えて、物部系、讃岐物部との兼ね合いも考えられる。
『日本三代実録』元慶7年(883年)12月2日条には「散吉大建命・散吉伊能城神に神階従五位下を授ける」という記述があり、当社神だとされる。
以上を経て、『竹取物語』に登場する「竹取の翁」が名を「讃岐造(さぬきのみやつこ)」ということから、『竹取物語』の舞台が大和国広瀬郡散吉郷のことであるとされる。
当社が「竹取物語ゆかりの神社」となっている所以である。現在は、近隣に竹取公園が整備されている。
また、町の多目的研修施設である「はしお元気村」には、特大のかぐや姫像が設置されている。
中世には、広瀬川合、つまり廣瀬大社の若宇加乃売命を勧請し、江戸時代までは「広瀬大明神」「南川合明神」と称した。
現在までに御祭神は大国魂命・若宇加能売命・大物主命とされる。大物忌命(鳥海山大物忌神社の主祭神)・倉稲魂命・猿田彦命・大国魂命とも。
ただ、『日本三代実録』では二座の神名があり、『延喜式神名帳』には神名はなく無印なので一座のはずで、不明な点が多い。
『広瀬川合神社略本縁』では、御井神(木俣神)、大嵩神(大己貴命)、井精神(粟井水神)の3柱を挙げているという。
垂仁天皇の皇子である五十香足彦命とする説もあるが、上越にゆかりのある人であって、讃岐とは関係ない。
また、御祭神は讃岐公の祖、ともされるので、それであれば第12代景行天皇の皇子である神櫛王か、日本武尊の子に建貝児王がいる。
江戸時代初期の慶長19年(1611年)正月に火災があり、現在の本殿はその時に再建されたものである。
例祭は10月15日。中秋の名月の頃には、「広陵かぐや姫まつり」が開催され、お御輿の練り歩きがある。
【ご利益】
産業振興、事業成功
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