土師系の菅原氏の居住地域、付近に関連古墳、道真の出生地との説も
[住所]奈良県奈良市菅原町518
[電話]0742-45-3576

菅原天満宮(すがわらてんまんぐう)は、奈良県奈良市菅原町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「菅原神社(大和国・添下郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。

「すがはらてんまんぐう」「すがわらじんじゃ」「すがはらじんじゃ」とも。

創建年代は不詳。菅原の地を本貫(本拠地)とする土師氏支族、後の菅原氏が、その祖神を祀ったことに始まったと思われる。

御祭神は、天穂日命・野見宿禰命・菅原道真公。『延喜式神名帳』では一座であるため、それまでは天穂日命のみか。

当地の地名である「菅原」はスゲ(菅)の自生地・草原を意味し、もとは平城宮以西の広大な丘陵地域を指した名称とされる。

菅原一帯の土師氏支族については、『菅家御伝記』にも「爾来土部氏万葉居菅原伏見邑」として土師氏が居住する旨が記載されている。

実際に、一帯では土師氏の存在を裏付ける古墳時代後期の菅原東遺跡埴輪窯跡群がある。現在は市の史跡に指定されている。

当社の信仰圏は土師氏の分布範囲とほぼ一致する。当社南方には、土師氏と深い関係にあると思われる菅原伏見東陵、つまり垂仁天皇陵がある。

当社東北には佐紀古墳群があり、その中の佐紀陵山古墳は、野見宿禰が殉死の停止を進言し、埴輪を創案したという伝承のある比婆須比売命の陵である。

近くには、菅原天満宮遺跡天神堀があり、菅原氏の旧館伝承地だが、後世に菅原道真の出生地とする説が生じ、現在は道真の誕生池として信仰されている。

社伝によれば、戦国時代の文亀年間(1501年-1504年)、社殿が兵火にかかった他、江戸時代前期の元禄年間(1688年-1704年)にも火災にかかった。

江戸時代中期の寛保年間(1741-1744年)になって、一乗院宮真敬法親王の命によって再建されたという。

明治になり、式内社名でもある菅原神社として郷社に列した。

例祭は10月体育の日の前日。6月25日が御誕生祭で、鷽替え(うそかえ)の神事が行われる。2月25日が祈年祭で、おんだ祭。3月春分の日には奈良筆まつりがある。

境内社に、春彦神社(度会春彦翁神)、稲荷神社(豊宇気姫神)、市杵島神社(市杵嶋姫神)がある。

【ご利益】
一族・子孫繁栄、学業・受験合格(公式HP
菅原天満宮 奈良県奈良市菅原町
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