宮山を崇拝、平安期に春日を勧請した「河分明神さん」、例祭は11月
[住所]奈良県吉野郡黒滝村大字中戸字川戸394
[電話]0747-52-3583

河分神社(かわわけじんじゃ)は、奈良県吉野郡黒滝村中戸川戸にある神社。近代社格では郷社。御朱印の有無は不明。

黒滝村内の赤滝・中戸・寺戸・脇川・堂原・御吉野の六つの大字の産土神。黒滝川と川合川の合流地点である中戸字川戸に鎮座する。

創建年代は不詳。平安時代に奈良春日大社の御分霊を勧請したという。御祭神は、武甕槌命経津主命天児屋根命・姫大神。

古記録には河分大明神とあり、「河分明神さん」と呼ばれ崇拝されていた。古くから祈雨祈晴に霊験があるとされる。

南光寺が神宮寺(別当寺)で、戦国時代の天文5年(1536年)の年記がある本尊の阿弥陀如来坐像が村の文化財に指定されている。

文禄4年(1595年)や延宝7年(1679年)の検地では「村中氏神河分大明神神宮山」とあり、除地になった。

これは春日分神を祀る以前から河分の神としてこの宮山が崇拝されてきたことを物語る。

江戸時代前期の寛永18年(1641年)、木造狛犬の彩色が施され、翌寛永19年(1642年)、石造灯籠が寄進された。

江戸時代中期の宝永7年(1710年)にも石造灯籠の寄進があり、享保6年(1721年)には社殿が修繕された。

江戸時代後期の文政2年(1819年)に社殿が再建され、文政6年(1823年)いんは石造水船が、安政3年(1857年)には石造灯籠が、安政4年(1858年)には石造狛犬が寄進された。

明治5年(1872年)、四社神社と改称。翌明治6年(1873年)には郷社に列し、明治7年(1874年)、南光寺が廃寺。そばに大日堂が建てられて本尊が祀られた。

明治14年(1881年)に再建され、大正9年(1920年)に修繕されたのが現在の社殿。本殿は4殿、いずれも間口4尺奥行5尺の春日造。

明治29年(1896年)、現社号に改称した。境内社に稲荷社があり、宇迦之御魂神を祀る。

例祭は11月3日。17本の竹の筒を使って奏でる笙笛に合わせ、神前で典雅な舞が奉納される。餅まきなども行われ、境内は多くの人々で賑わう。

裏山にある巨樹のヒモロギへ塩や水を供える風習があるという。

【ご利益】
家内安全、地域安全
河分神社 奈良県吉野郡黒滝村中戸川戸
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