もとの八幡社、明治期に18社を合祀、「蕨」の万葉仮名を社号に
[住所]埼玉県蕨市中央4-20-9
[電話]048-431-2549

和樂備神社(わらびじんじゃ、和楽備神社)は、埼玉県蕨市中央にある神社。近代社格では村社。蕨市の総鎮守である。参拝すれば、御朱印を頂ける。

創建から江戸時代までのことは、別当寺を務めた三学院末成就院が廃寺となり、明らかでない。

社伝によれば、室町時代に足利将軍家一族の渋川氏が蕨城を築き、その守り神として八幡神を祭ったのが始まりとされる。

一方、『世鏡伝記題臨書』によれば、永正8年(1511年)に鎌倉の住人、成田隼人正が祭ったとする。主祭神は、誉田別尊

江戸時代に蕨宿が整備されると、「蕨八幡」「上の宮」と呼ばれ、中の宮(宮田 氷川社)、下の宮(荒井前 氷川社)とともに蕨宿三鎮守として重きをなした。

御神体は木造八幡騎馬像と、天正11年(1583年)作の木造僧形八幡立像で、いずれも非公開、市の文化財に指定されている。

明治6年(1873年)、村社に列した。明治44年(1911年)12月15日、蕨町の18社を合祀した。その際、反対運動も根強く、塚越稲荷神社は最後まで承服しなかった。

もとは八幡社と呼ばれていたが、合祀先の氏子が納得しなかったため、社名変更に迫られ、「蕨」一字では尊厳味がないとして、万葉仮名から取った。

現在では、素盞鳴尊木花咲耶姫命天照大神天児屋命猿田彦之命大山祗命大山咋命倉稲魂命菅原道真公・蕨城主渋川公を併せて祀る。

以降、合祀各社の社殿や建造物を当社に移転して、境内整備が行われた。

昭和39年(1964年)、合祀55年を記念して、本殿の移築、幣殿と拝殿が新築された。旧拝殿は手水舎前に移築され、神楽殿として使用された。

平成8年(1996年)、社殿が不審火により焼失。翌平成9年(1997年)に再建された。

平成26年(2014年)、合祀100周年記念事業として参集殿を建立。さらに、手水舎前の神楽殿を神輿殿に改築した。

境内の神池は、蕨城を囲む堀の一部。江戸時代になると、徳川家が隣接する蕨城址に鷹狩用の御殿を建てたので、御殿堀とよばれるようになった。

慶田の乃木希典の銅像は、昭和11年(1936年)に蕨市立北小学校の校庭に建立されたもので、戦後当社内に移設された。

市指定文化財に、享和元年(1801年)造立の安山岩製の宝篋印塔がある。もとは旧八幡社別当寺の成就院(廃寺)にあったもの。

また、手水舎の水盤は安山岩製の大型のもので、四隅が入隅式になっている。もとは上野の寛永寺にあったものともされる。江戸時代初期の造立とみられる。

境内社の稲荷社本殿はもとの当社本殿を移築したもの。天神社本殿は宮田の天神社本殿を移築したもの。両棟とも、江戸時代中期の建立で、市の文化財に指定されている。

建築三神の碑がある。聖徳太子が祀られることが多いが、当社では、手置帆負命・八意思兼命・彦狭知命を祀る。

境内社は他に、榛名神社納札所、富士浅間神社・小御岳神社、御嶽講碑、津島牛頭天王、御主殿社、母子観音像、菓祖神(田道間守命)がある。

例祭は10月15日。八幡神の祭礼日(8月15日)と合祀の日(12月15日)の中間をとって定められたという。

その前の土・日曜日は神幸祭で、行列と神輿渡御、神楽奉納がある。土橋町・御殿一丁目・旭町・御殿連合・中町・三ヶ町神輿・須賀町などの神輿が宮入りする。

2月3日は節分祭で、豆まきなどが行われ、多くの人で賑わう。12月17日にはおかめ市が開催される。

【ご利益】
厄災除け、安産、家内安全、交通安全(公式HP
和樂備神社 埼玉県蕨市中央
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和樂備神社 埼玉県蕨市中央の御朱印