孝霊天皇の時代に創祀、氷川社に合祀され、氷川社が式内社名に改称
[住所]埼玉県さいたま市西区飯田54
[電話]048-624-9742

足立神社(あだちじんじゃ)は、埼玉県さいたま市西区飯田にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 足立郡「足立神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では村社。

当社は、古代における殖田郷に鎮座し、この殖田郷を本拠地とした在地の豪族足立氏が奉斎した神社だったと考えられている。

創建年代は不詳。長い年月の間に衰微し、その期間が長かったためか、江戸時代には付近に同名の神社がいくつかある状態になった。

植田村本村に鎮座していた当社は、『新編武蔵風土記稿』に、「日本根子彦太日天皇御宇、二年戊子所祭猿田彦命也、有神戸巫戸等と記すものにして最古社なり」とある。

つまり、第7代孝霊天皇の御代、その2年に猿田彦命を奉斎し、神戸・巫戸などを有したという。

また、「名主勘太夫が屋敷の内にあり(中略)神名帳に載する足立神社は、即当社なりと伝」とあり、式内社として有力視されていた。

この名主勘太夫の屋敷跡が、現在の市内西区大字植田谷本に位置する。

また、水判土村にも同名神社があり、慈眼寺の裏手の、ちょうど大宮台地の指扇支台の最南端にあたる所に鎮座し、村の鎮守として祀られていた。

市西区水判土462に慈眼寺は実在し、旧地付近とされる。この他、水判土村の山王塚にも足立神社が祀られていたという伝えもある。

飯田村では、下組は氷川神社、上組は氷川八幡神社を鎮守として祀った。このうち下組の氷川神社が明治6年(1873年)に村社となった。

この氷川神社が明治40年(1907年)、政府の合祀政策に従って、植田村本村と水判土村の足立神社を含む、村社と無格社、あわせて30社を合祀した。

これを機に、氷川神社の社号を現社号に改めたという。そのため、御祭神も多く、複雑。

主祭神はもとの猿田彦命とされる。他に、天神七代尊・地神五代神・日本武尊市杵島姫命多岐都比売命大国主神天手力男神菊理姫命倉稲御魂命応神天皇菅原道真を祀る。

天神七代尊は、豊雲野神宇比地邇神角杙神妹活杙神意富斗能地神妹大斗乃弁神游母陀琉神妹阿夜謌志古泥神伊邪那岐神妹伊邪那美神

地神五代神は、天之御中主神高御産巣日神神御産巣日神宇麻志阿斬謌備比古遅神天之常立神天照坐大神須佐之男命

いずれも神世七代、地神五代とは微妙に異なり、造化の三神、神世七代地神五代などの神々を再編したような形となっている。

この他、市内には浦和区上木崎に同名の神社があり、時に式内論社とされる。論社は他に、市内北区宮原町の加茂神社、鴻巣市笠原の久伊豆社がある。

例祭は4月24日。鳥居の左手にアジサイ園があり、6月にアジサイまつりがある。アジサイは西区の花に指定されている。

【ご利益】
交通安全、旅行安全、厄災除け
足立神社 埼玉県さいたま市西区飯田
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