岸和田中央公園の西に鎮座、近郷12ヶ村の総社、雨乞いと古い能面
[住所]大阪府岸和田市西之内町1-1
[電話]072-443-1097

兵主神社(ひょうすじんじゃ)は、大阪府岸和田市西之内町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 畿内神 和泉国 和泉郡「兵主神社」に比定される式内社(小社)。兵主神社の一つ。近代社格では郷社。

岸和田中央公園の西、川の東岸に鎮座する。平地の大社であり、大宮とも称される。和泉大宮とも。

創建は不詳。御祭神は現在、天照皇大神八幡大神菅原道真公とされるが、諸説ある。明細帳によれば、下記の通り。

明治12年(1879年)には、主神が八千鋒大神日本武尊、配神が菅原道真・品陀別命。昭和27年(1952年)には、主神が八千鋒大神、相殿神が日本武尊・天照大神・品陀別命・菅原道真。

掃守郷(加守郷)の総社で、当地西之内のほか、近郷12ヶ村を氏地とし、各村より祢宜一人ずつ出していたという。

天正年間(1573年-1593年)に兵火にかかり衰微、以後各村がそれぞれ氏神を勧請したので、当社は西之内だけで祭祀を行うことになった。

しかし、雨乞いを行う時は、従前通り12ヶ村から庄屋年寄が出仕するのが慣例だったという。

蛇渕と称する池が本殿の後方横側、末社弁財天、稲荷社、龍神社牛神社の前にあり、この蛇渕はかつての雨乞祈願の場。

往時は、別当久米田寺多聞院を招き、龍人豊玉姫を勧請し、読経修行するのを例としたという。

この渕には太蛇が棲み、久米田池へ通ったとも伝えられる。

社宝として、室町時代から江戸時代前期までの能面9面が伝えられてる。「雨降りの面」と呼ばれ、雨乞いの際に演じられた能に用いられたもの。

江戸時代中期の寛保3年(1743年)、岸和田藩主岡部長富より桐箱と金欄の九の面袋が寄贈された。

現在の本殿は、安土桃山時代の建立で、三間社流造、正面軒唐破風付、檜皮葺で、蟇股などに桃山風の装飾が施されている。国の重要文化財に指定されている。

明治6年(1873年)、郷社に列し、明治42年(1909年)10月には神饌幣帛料供進社に指定された。

例祭は10月9日で、秋季例祭。だんじりが出る。春季例祭が4月15日、夏宮祭が7月10日、冬宮祭が12月10日。

【ご利益】
祈雨・天候、開運招福
兵主神社 大阪府岸和田市西之内町
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兵主神社 大阪府岸和田市西之内町の御朱印